川上久隅 | 島津義弘の忠臣。泗川の戦いなど朝鮮の役での激戦において義弘の本陣を守り抜いた

かわかみ ひさずみ

地域九州
所属勢力・属性島津家臣
大名家島津
家紋丸に十字
主武器太刀
衣装・甲冑実戦具足
武将タイプ堅実・忠臣

島津義弘の忠臣。泗川の戦いなど朝鮮の役での激戦において義弘の本陣を守り抜いた。

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島津氏の重臣・川上氏

川上久隅が生まれた川上氏は、薩摩の島津氏に仕えた有力家臣団の一つです。久隅の父・川上昌久は10代当主で、島津氏の家老職をつとめた重臣でした。久隅もまたその家格を受け継ぎ、島津家の中枢で働く武将として頭角を現していきます。

島津義弘の家老として

天文元年(1532年)に生まれた久隅は、やがて島津義弘の家老をつとめ、その軍事行動を支えました。天正6年(1578年)の耳川の戦いをはじめ、天正9年(1581年)の水俣城攻めでは大将を任され、千々石城の攻撃では敵300余を討ち取る戦功をあげています。天正14年(1586年)の岩屋城攻めにも加わるなど、九州各地の激戦で島津軍の一翼を担いました。

朝鮮の役と一族

豊臣政権下では、島津軍の一員として朝鮮出兵にも従いました。異国での激戦は島津勢に大きな犠牲を強い、久隅の次男・久通も慶長3年(1598年)に朝鮮で病没しています。久隅には長男・久利、次男・久通がありましたが、久利の不行跡のため、家督は孫の久貞に継がせたと伝えられます。主君・義弘を支え続けた老臣の生涯は、島津家の九州平定と対外戦争の歴史そのものと重なっています。

島津家

主家

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家臣団

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