亘理重宗 | 対相馬戦の先手を務めた伊達家の重臣

わたり しげむね

地域東北
所属勢力・属性伊達一門・亘理氏
大名家伊達氏
家紋―
主武器太刀・采配
衣装・甲冑重臣具足
武将タイプ名将・亘理城主

伊達氏の重臣で亘理氏の当主。父元宗とともに相馬氏との戦いで名を上げ、輝宗・政宗の相馬攻めで先手を務めた。天正19年(1591)に涌谷城へ移り、嫡男の定宗は伊達姓を許されて涌谷伊達家の祖となった。

目次

亘理氏と父・元宗

亘理氏は陸奥国亘理郡(現・宮城県亘理町)を本拠とした一族である。重宗の父・元宗は伊達稙宗の子で、外祖父の亘理宗隆の跡を継いで亘理城主となった。重宗は天文21年(1552)に元宗の嫡男として生まれたとされる。

永禄9年(1566)、重宗は伊達晴宗を烏帽子親として元服し、相馬盛胤の娘を妻に迎えたとされる。亘理は相馬領と境を接し、亘理氏は伊達氏の対相馬戦の最前線を担った。

相馬氏との国境戦

『日本人名大辞典』は、元宗が子の重宗とともに相馬氏との戦いで名をあげたと記す。涌谷町の解説によれば、重宗は天正4・11・12・17年の輝宗・政宗による相馬攻めで、常に先手を務めた。天正2年(1574)の最上攻めに出陣した際、「竹に雀」の紋を許されたという。

天正11年(1583)の丸森城攻め、天正17年(1589)の駒ヶ嶺城攻略にも加わったとされる。天正18年(1590)には最上氏との和睦交渉で伊達氏を代表したという。

涌谷への移封と涌谷伊達家

天正19年(1591)、葛西・大崎一揆の後の領地替えで、亘理氏は遠田郡の涌谷城(現・宮城県涌谷町)に移った。文禄元年(1592)には秀吉の朝鮮出兵に従って涌谷を発ったとされる。

慶長9年(1604)頃、重宗は家督を嫡男の定宗に譲ったとされる。定宗は慶長11年(1606)に伊達姓を許され、涌谷伊達家が始まった。同年、政宗の庶子・宗根が重宗の娘婿として養子に入り、佐沼亘理家を起こしたとされる。

ゆかりの地

  • 涌谷城跡(涌谷町):天正19年以降の亘理氏・涌谷伊達家の居城
  • 亘理城跡(亘理町):涌谷移封前の亘理氏の本拠

参考にした資料

伊達家

主家

家臣団

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