おににわ よしなお
| 地域 | 東北 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 伊達家臣 |
| 大名家 | 伊達氏 |
| 家紋 | 丸に三ツ引き |
| 主武器 | 太刀・黄色の絹頭巾 |
| 衣装・甲冑 | 武骨重厚具足 |
| 武将タイプ | 「鬼庭左月斎」・老将の壮絶 |
伊達家の老宿老(鬼庭左月斎)。人取橋の戦いにおいて73歳の老齢で黄色い頭巾をかぶり殿を務め、政宗を逃がして討死。
伊達家の宿老
良直は、陸奥の伊達家に仕えた重臣です。1513年に生まれ、晩年は出家して左月斎と名乗りました。
鬼庭家
鬼庭家は、伊達家に古くから仕えた家でした。良直の子は、のちに政宗の重臣となる鬼庭綱元(茂庭綱元)です。
三代に仕える
良直は、伊達晴宗・輝宗・政宗の三代にわたって伊達家に仕えました。
評定役
良直は、伊達家の重要なことを話し合う評定役を務め、家の政治を支えました。
天文の乱
伊達家では、晴宗とその父の稙宗が争う天文の乱が起こりました。良直は、この争いの時代から伊達家を見てきた人物でした。
輝宗の信頼
輝宗の時代、良直は重臣として家中をまとめる役目を果たしました。
輝宗の死
1585年、輝宗が二本松の畠山義継に連れ去られ、命を落とすという事件が起こりました。
人取橋の戦い
その直後、政宗は二本松城を攻めましたが、佐竹家・蘆名家などの連合軍が救援に駆けつけ、人取橋で激しい戦いとなりました。
伊達軍の危機
連合軍は伊達軍の何倍もの兵力を持っており、伊達軍は総崩れの危機に陥りました。
殿を務める
このとき73歳の良直は、政宗を逃がすために殿を務め、わずかな兵で連合軍に立ち向かいました。
討死
良直は、奮戦の末に討死しました。
政宗の生還
良直らの奮戦によって、政宗は危機を脱することができました。その後、連合軍は兵を引き上げました。
黄色の頭巾
伝承では、良直は甲冑を重く感じたため、黄色の綿帽子をかぶって戦場に出たといわれます。
子の綱元
子の綱元は、父の死後も政宗に仕え、伊達家の重臣として活躍しました。
人取橋古戦場
人取橋の古戦場は、現在の福島県本宮市にあり、良直の墓とされるものも残っています。
茂庭綱元
良直の子の綱元は、のちに茂庭と姓を改め、政宗の重臣として活躍しました。政宗の命で、豊臣秀吉のもとへ使者として赴いたこともありました。
左月斎
良直は、晩年に出家して左月斎と名乗りました。
伊達家の宿老たち
伊達家には、良直のように何代にもわたって家を支えた宿老たちがいました。その存在が、若い政宗の急速な勢力拡大を支えました。
良直の評価
良直は、伊達家の三代に仕えた宿老で、人取橋の戦いで73歳にして政宗を守る殿を務め、命を落とした武将です。その忠義は、伊達家の歴史の中で長く語り継がれています。
このイラストについて
長いひげをたくわえた老将が甲冑姿で立ち、槍の並ぶ戦場と曇り空を背にした姿です。
長いひげの老将の姿は、73歳で人取橋の戦いに臨んだ良直をイメージしています。背景の槍の並ぶ戦場は、伊達軍が佐竹・蘆名などの連合軍と戦った人取橋の戦いを表しています。顔立ちは想像によるものです。
※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。
陸奥国伊達郡を発祥とする家。伊達稙宗と子の晴宗が争った天文の乱(1542〜48年)で一時は勢力を弱めたが、晴宗・輝宗の代に立て直した。
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