けい(じうんいん)
| 地域 | 近畿(大和)・尾張 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 豊臣秀長の正室。秀長の死後に出家して慈雲院 |
| 大名家 | 豊臣家(秀長家) |
| 家紋 | 不明 |
| 主武器 | ― |
| 衣装・甲冑 | 打掛 |
| 武将タイプ | 大和大納言の妻・陰で支えた奥方 |
慶(けい)は、豊臣秀長の正室(正妻)として大河ドラマ『豊臣兄弟!』に登場する女性で、吉岡里帆さんが演じています。史料には本名が残っておらず、秀長の死後に出家してからの「慈雲院(じうんいん)」という名で知られます。ドラマの「慶」という名は、法名に含まれる「紹慶」の一字からとられたとも考えられます。記録の少ない人物ですが、近年の研究で少しずつその姿がわかってきています。
■ 豊臣秀吉・秀長 オリジナルグッズ ■
姉妹サイト「日本の歴史ガイド」がデザインした秀吉・秀長グッズ。Tシャツ・マグカップ・トートバッグに加え、スマホケース・フェイスタオル・タンブラーなどもあります
※姉妹サイト「日本の歴史ガイド」のオリジナル商品です。NHK・大河ドラマの公式グッズではありません。
慶(慈雲院)と秀長の歩み 年表
| 年 | できごと |
|---|---|
| 天文9年(1540) | 夫となる秀長が尾張中村に生まれる |
| 永禄9年(1566)ごろ | 秀長と結婚したと推定される(黒田基樹氏の説) |
| 天正元年(1573)〜 | 兄・秀吉が長浜城主となり、秀長もその家臣団の中心となる |
| 天正13年(1585) | 秀長が大和・紀伊・和泉を与えられ、大和郡山城主となる |
| 天正15年(1587) | 秀長が従二位権大納言となり、「大和大納言」と呼ばれる |
| 天正19年(1591)1月22日 | 秀長が大和郡山城で亡くなる |
| 天正19年〜文禄元年(1591〜92)ごろ | 出家して「慈雲院」と名のる(誓願寺の奉加帳による) |
| 没年 | 不明 |
史料に残る「慈雲院」
戦国時代の女性は、本名が記録に残らないことがほとんどです。秀長の正室も同じで、名前はわかっていません。ただ、京都の誓願寺に残る寄付の記録(奉加帳)には「大和様慈雲院殿」という名が見えます。また、大徳寺の僧・古渓宗陳の記録をまとめた『蒲庵稿』には「芳室慈雲院紹慶大禅定尼」という法名が記されています。
誓願寺の記録は、秀長が亡くなった天正19年(1591)から翌年ごろのものと考えられています。夫を亡くした正室は出家して「慈雲院」と名のり、夫の菩提をとむらっていたのです。
出自 ― 父は秀長の家臣だった?
慶がどこの家の出身なのかは、はっきりしていません。歴史学者の和田裕弘氏は、父は秀長の家臣・神戸伝左衛門秀好だったと考えています。奈良の興福寺多聞院の僧が書いた『多聞院日記』の文禄2年(1593)5月の記事に、大納言家の母を「伝左衛門の妻」とする記述があることなどが根拠です。秀長の菩提寺である大徳寺大光院の過去帳にも「慈雲院殿父」という記載があります。
結婚した時期については、黒田基樹氏が永禄9年(1566)ごろと推定しています。兄の秀吉が寧々と結婚してから数年後のことで、秀長がまだ秀吉を支える一人の武将にすぎなかったころです。
大和大納言の妻として
秀長はその後、兄・秀吉の右腕として各地を転戦し、天正13年(1585)には大和・紀伊・和泉の三国、あわせて100万石ともいわれる領地を与えられて大和郡山城の主となりました。天正15年(1587)には従二位権大納言に任じられ、「大和大納言」と呼ばれます。慶は、この大大名の正室として、郡山城の奥を取りしきる立場にありました。
秀長の子どもについては、のちに毛利秀元に嫁いだ娘などが知られていますが、その母がだれだったのかは、はっきりしていません。秀長の跡は、甥の豊臣秀保が養子として継ぎました。
秀長の死と、その後
天正19年(1591)1月22日、秀長は大和郡山城で病のため亡くなりました。52歳でした。慶は出家して慈雲院と名のり、夫の菩提をとむらいました。秀長の跡を継いだ秀保も文禄4年(1595)に17歳で亡くなり、秀長の家は絶えてしまいます。慈雲院がいつ亡くなったのかは、記録に残っていません。
秀長の死から37日後には千利休が切腹を命じられ(千利休はなぜ切腹したのか)、豊臣政権は大きく揺らいでいきます。夫を失ったあとの慈雲院が、その移り変わりをどのような思いで見ていたのかは、想像するしかありません。
評価
慶(慈雲院)は、記録がわずかしか残っていない女性です。しかし、秀長が農家の次男から100万石の大名にまでのぼりつめた長い道のりを、いちばん近くで支えた人物の一人だったことはまちがいありません。ドラマでは、穏やかで芯の強い秀長の妻として描かれています。ドラマを見るときは、史料に残るわずかな手がかりとあわせて楽しむと、いっそう興味深く感じられるでしょう。
ゆかりの地
- 大和郡山城跡(奈良県大和郡山市):秀長が城主となった城。慶は正室としてここで暮らした
- 大徳寺 大光院(京都市北区):秀長の菩提寺。過去帳に「慈雲院殿父」の記載がある
- 誓願寺(京都市中京区):「大和様慈雲院殿」の名が見える奉加帳を伝える寺
このイラストについて
このイラストは、大和の山々と郡山城の天守を背に、藤色と浅葱色の打掛をまとった慶を描いています。穏やかな顔立ちに芯の強さを感じさせるまなざしで、大和大納言・豊臣秀長の正室として郡山城の奥を取りしきった姿をイメージしました。顔立ちや装束は想像によるものです。
※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。













































