穴山信君(梅雪) | 武田一門の重臣から徳川・織田へ。本能寺の変の直後、伊賀越えの途中で討たれる

穴山信君のイラスト(イメージ)

あなやま のぶただ(ばいせつ)

地域甲信越(甲斐)
所属勢力・属性武田氏一門→徳川・織田方
大名家穴山氏
家紋三つ花菱
主武器太刀
衣装・甲冑法体に具足
武将タイプ武田一門の重臣

穴山信君(あなやま のぶただ)は、甲斐の武田家の一門で、出家して「梅雪」と名のった武将である。天文10年(1541年)に生まれ、天正10年(1582年)に亡くなった。母は武田信玄の姉、妻は信玄の娘で、武田家でも特に重い立場にあった。しかし天正10年、武田家を見限って徳川家康を通じて織田信長方につき、本能寺の変の直後に命を落とした。

3行でわかる穴山信君
  • 武田信玄の甥で娘婿。甲斐の河内地方と駿河の江尻城を任された武田一門の重臣
  • 天正10年(1582年)、武田勝頼を見限って徳川・織田方につき、武田家滅亡を早めた
  • 本能寺の変のとき家康とともに堺にいたが、帰る途中で別行動をとり、山城で一揆に討たれた
目次

武田一門の重臣

穴山家は甲斐の南部・河内地方を治める武田の一族で、信君は信玄の姉の子にあたる。信玄の娘(見性院)を妻とし、駿河を取ったあとは江尻城を任されて、徳川家との境を守った。

武田を見限る

長篠の戦いのあと、武田勝頼との関係はしだいに冷えていったとされる。天正10年(1582年)、織田軍が攻めこむと、信君は家康を通じて織田方につき、甲斐へ攻めこむ道を開いた。信長は信君の領地を認め、武田家の名跡を継ぐことも考えていたともいわれる。

本能寺の変と最期

同じ年の5月、信君は家康とともに安土で信長のもてなしを受け、そのあと堺を見物していた。6月2日、本能寺の変の知らせが届くと、家康は伊賀を越えて三河へ急いだが、信君は別の道をとり、山城の宇治田原あたりで一揆に襲われて討たれたとされる(大河ドラマ「第28回「急げ!秀吉」」でも家康の伊賀越えが描かれている)。

穴山信君をめぐる人物

  • 伯父・妻の父:武田信玄
  • 見限った相手:武田勝頼
  • 寝返った先:徳川家康/織田信長
  • 同じく武田から離れた武将:木曽義昌

ゆかりの地

  • 江尻城跡(静岡県静岡市清水区):信君が守った駿河の城
  • 下山(穴山氏の館跡)(山梨県身延町):穴山氏が本拠を置いたとされる地
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