ほうじょう うじのり
| 地域 | 東海(伊豆・韮山)、関東(相模) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 北条氏(一門) |
| 大名家 | 北条家 |
| 家紋 | 三つ鱗 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 外交と籠城の名将 |
北条氏規(ほうじょう うじのり)は、北条氏康の子で、伊豆の韮山城主となった武将である。天文14年(1545年)に生まれ、慶長5年(1600年)に56歳で亡くなった。少年時代に人質として今川家の駿府で過ごし、同じく人質だった徳川家康と親しかったと伝わる。小田原征伐では韮山城を守り抜き、北条家が滅んだあとも子孫が大名として続いた。
3行でわかる北条氏規
- 少年時代を駿府で人質として過ごし、徳川家康と知り合った
- 北条家の外交を担い、豊臣秀吉のもとにも使者として出向いた
- 小田原征伐では韮山城で大軍を防ぎ、のちに子孫は狭山藩主となった
目次
駿府での日々
氏規は北条氏康の子で、幼いころ今川家への人質として駿府で暮らした。同じころ、のちの徳川家康(竹千代)も駿府にいて、二人は親しくなったと伝わる。この縁は、のちの北条家と徳川家の交渉にも生かされた。
北条家の外交
北条家と豊臣秀吉の関係が悪くなると、天正16年(1588年)、氏規は北条家を代表して京にのぼり、秀吉に会った。しかし翌年、北条家の家臣が真田家の名胡桃城を奪う事件が起き、秀吉は北条家を攻めることを決めた。
韮山城の籠城
天正18年(1590年)の小田原征伐で、氏規は伊豆の韮山城(静岡県伊豆の国市)にこもり、4万ともいわれる豊臣軍の攻撃を約100日にわたって防いだ。最後は家康の説得を受けて城を開いた。
戦後、氏規は命を助けられ、のちに豊臣秀吉から河内に領地を与えられた。子孫は江戸時代を通じて河内の狭山藩主として続き、北条家の血筋を伝えた。
北条氏規をめぐる人物
- 父:北条氏康
- 兄弟:北条氏政/北条氏照/北条氏邦/上杉景虎
- 少年時代の知人:徳川家康
- 子孫:狭山藩主北条家
ゆかりの地
- 韮山城跡(静岡県伊豆の国市):氏規が守り抜いた城
- 臨済寺(静岡市葵区):氏規や家康が人質時代を過ごした駿府ゆかりの寺


北条氏康
北条氏政
徳川家康
豊臣秀吉
北条氏照
北条氏邦
上杉景虎






































