あさくら かげあきら
| 地域 | 北陸(越前・大野) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 朝倉氏(一門)→ 織田氏 |
| 大名家 | 朝倉家 |
| 家紋 | 三つ盛木瓜 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 裏切りの一門 |
朝倉景鏡(あさくら かげあきら)は、越前の朝倉家の一門で、大野郡を治めた武将である。生まれた年はわかっておらず、天正2年(1574年)に亡くなった。天正元年(1573年)、織田信長に敗れて逃げてきた当主・朝倉義景を裏切り、自害に追いこんだ。その後は信長に降ったが、翌年、一向一揆に攻められて討たれた。
3行でわかる朝倉景鏡
- 朝倉家の一門で、越前大野郡の郡司をつとめた
- 織田信長に追われた当主・朝倉義景を裏切り、自害させた
- 信長に降って土橋信鏡と名のったが、翌年一向一揆に討たれた
目次
朝倉家の一門
景鏡は朝倉家の一族で、越前の大野郡を治める郡司の地位にあった。一門の中でも有力な人物で、当主の朝倉義景を支える立場にあった。
義景を裏切る
天正元年(1573年)、朝倉義景は織田信長との戦いに敗れ、本拠の一乗谷も焼かれた。義景は景鏡のすすめで大野に逃れたが、景鏡は兵で義景のいる賢松寺を囲み、義景を自害に追いこんだ。景鏡は義景の首を信長に差し出して降伏した。
最期
景鏡は信長に許されて土橋信鏡と名のり、所領を保った。しかし翌天正2年(1574年)、越前で一向一揆が起こると、平泉寺(福井県勝山市)にこもった景鏡は一揆勢に攻められ、討たれた。
朝倉景鏡をめぐる人物
- 主君:朝倉義景
- 降伏した相手:織田信長
- 討たれた相手:越前一向一揆
ゆかりの地
- 賢松寺跡(福井県大野市):義景が自害した寺の跡。義景の墓がある
- 平泉寺白山神社(福井県勝山市):景鏡が最期を迎えた地
- 一乗谷朝倉氏遺跡(福井市):朝倉家の本拠


朝倉義景
織田信長
朝倉宗滴







































