ながお まさかげ
| 地域 | 甲信越(越後・坂戸) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 長尾氏(上田長尾家)、上杉謙信の重臣 |
| 大名家 | 長尾家(上田長尾家) |
| 家紋 | 九曜巴 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 謙信の義兄 |
長尾政景(ながお まさかげ)は、越後の坂戸城(新潟県南魚沼市)を本拠とした上田長尾家の当主で、上杉景勝の父である。大永6年(1526年)に生まれ、永禄7年(1564年)に39歳で亡くなった。はじめ長尾景虎(のちの上杉謙信)と争ったが、謙信の姉を妻として謙信に従った。野尻湖で宇佐美定満とともに水死した。
3行でわかる長尾政景
- 上田長尾家の当主で、謙信の姉・仙桃院の夫
- はじめ謙信と対立したが、のちに降って重臣となった
- 野尻湖で水死し、子の景勝はのちに謙信の養子となった
目次
謙信との対立
長尾家には、謙信の家(府中長尾家)のほかにいくつかの家があり、政景の上田長尾家もその一つだった。政景は謙信の姉・綾(仙桃院)を妻にむかえていたが、謙信が長尾家の家督を継ぐと、これに反発して戦った。
天文20年(1551年)、政景は謙信に降り、以後は重臣として謙信を支えた。謙信が一時出家しようとしたときに、引き止めた一人ともいわれる。
野尻湖の最期
永禄7年(1564年)、政景は信濃の野尻湖で宇佐美定満とともに舟遊びをしていたところ、二人とも湖に落ちて亡くなった。かつての対立から、謙信の命を受けた定満が政景を道連れにしたという説もあるが、はっきりしない。
子・景勝
政景の死後、子の顕景は叔父の謙信の養子となり、上杉景勝と名のった。謙信の死後、景勝は御館の乱でもう一人の養子・上杉景虎を破って上杉家を継ぎ、のちに豊臣政権の五大老の一人となる。景勝を支えた直江兼続も、上田長尾家の家臣の出身とされる。
長尾政景をめぐる人物
- 妻:綾(仙桃院、上杉謙信の姉)
- 子:上杉景勝
- 主君:上杉謙信
- ともに亡くなった人物:宇佐美定満
ゆかりの地
- 坂戸城跡(新潟県南魚沼市):上田長尾家の本拠
- 野尻湖(長野県上水内郡信濃町):政景が亡くなった湖
- 雲洞庵(新潟県南魚沼市):景勝と直江兼続が学んだと伝わる寺


上杉謙信
上杉景勝
宇佐美定満
直江兼続







































