さとみ よしたか
| 地域 | 関東(安房・上総) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 里見氏(安房の戦国大名) |
| 大名家 | 里見家 |
| 家紋 | 二つ引両 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 房総の名将 |
里見義堯(さとみ よしたか)は、安房(千葉県南部)の戦国大名・里見家の当主である。永正4年(1507年)に生まれ、天正2年(1574年)に68歳で亡くなった。一族の争いに勝って家を継ぎ、上総にも勢力を広げた。小田原の北条家と生涯にわたって戦い、里見家の最盛期を築いた。
3行でわかる里見義堯
- 一族の争い(天文の内訌)に勝って里見家の当主となった
- 二度の国府台合戦などで北条家と戦い、上総の久留里城を本拠とした
- 質素な暮らしと家臣を大切にする姿勢で「万年君子」とたたえられた
目次
天文の内訌
天文2年(1533年)、里見家の当主・里見義豊が、義堯の父・実堯を殺した。義堯は北条氏綱の助けを得て義豊を討ち、里見家の当主となった(天文の内訌)。
北条家との戦い
当主となった義堯は、やがて北条家と対立するようになった。天文7年(1538年)の第一次国府台合戦では、小弓公方・足利義明とともに北条氏綱と戦ったが、義明が討死して敗れた。
その後、義堯は上総へ勢力を広げ、久留里城(千葉県君津市)を本拠とした。永禄7年(1564年)の第二次国府台合戦では、子の義弘が北条氏康に敗れたが、里見家は房総の支配を保ち続けた。上杉謙信とも結んで、北条家に対抗した。
万年君子
義堯は贅沢をせず、家臣や領民を大切にしたと伝わり、「万年君子」とたたえられた。晩年は久留里城で過ごし、天正2年(1574年)に亡くなった。里見家はのちに江戸時代初めに改易されるが、その物語は曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の題材となった。
里見義堯をめぐる人物
- 父:里見実堯
- 子:里見義弘
- 戦った相手:北条氏綱/北条氏康
- 同盟した相手:足利義明/上杉謙信
ゆかりの地
- 久留里城跡(千葉県君津市):義堯の本拠
- 稲村城跡(千葉県館山市):天文の内訌の舞台となった里見家の城
- 国府台城跡(里見公園)(千葉県市川市):国府台合戦の舞台
▶ あわせて読みたい:国府台合戦をわかりやすく解説(第一次・第二次)


北条氏康
北条氏綱
上杉謙信







































