織田信広 | 信長の異母兄。安祥城で今川方に捕らえられ、竹千代(家康)との人質交換で戻った

織田信広のイラスト(イメージ)

おだ のぶひろ

地域東海(尾張・三河)
所属勢力・属性織田氏(信長の庶兄)
大名家織田家
家紋織田木瓜
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ苦労人の兄

織田信広(おだ のぶひろ)は、織田信秀の長男で、織田信長の異母兄である。母の身分が低かったため、跡継ぎにはなれなかった。生まれた年はわかっておらず、天正2年(1574年)に長島一向一揆との戦いで討死した。三河の安祥城で今川軍に捕らえられ、人質だった竹千代(のちの徳川家康)と交換された話で知られる。

3行でわかる織田信広
  • 信秀の長男だが、側室の子だったため跡継ぎにならなかった
  • 安祥城で今川軍に捕らえられ、織田家にいた竹千代(家康)との人質交換で戻された
  • 一度は信長に背いたが許され、長島一向一揆との戦いで討死した
目次

安祥城と人質交換

信広は父・信秀が三河で奪った安祥城(愛知県安城市)の守りを任された。天文18年(1549年)、今川家の太原雪斎がひきいる軍に城を攻め落とされ、信広は捕らえられた。

当時、織田家には松平家の跡継ぎ・竹千代(のちの徳川家康)が人質として置かれていた。今川家は信広と竹千代の交換を申し入れ、信広は尾張に戻され、竹千代は駿府の今川家に送られた。

信長との関係

信長が家督を継いだあと、信広は美濃の斎藤義龍と組んで信長に背こうとしたが、企ては失敗した。しかし信長は兄を許し、その後の信広は信長の家臣として働き、足利義昭との交渉などをつとめた。

長島での最期

天正2年(1574年)、信長は伊勢長島の一向一揆を攻めた。信広はこの戦いで討死した。

織田信広をめぐる人物

  • 父:織田信秀
  • 異母弟:織田信長/織田信勝 ほか
  • 人質交換の相手:竹千代(徳川家康)
  • 戦った相手:太原雪斎(今川家)

ゆかりの地

  • 安祥城跡(愛知県安城市):信広が守り、今川軍に落とされた城
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