うちだ さねひさ
| 地域 | 九州 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 秋月家 |
| 大名家 | 秋月家 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 大槍 |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 勇猛・不屈 |
内田実久(うちだ さねひさ)は筑前の戦国大名・秋月氏の家臣とされる人物である。秋月種実の旧領回復に関わり、筑前の左右良岳城(麻底良城)を任されたと伝わる。秋月氏が日向高鍋に移った後も仕えたとされる。
目次
秋月氏の家臣
内田実久は筑前国(現在の福岡県)の秋月氏に仕えた武将とされる。島津家臣として木崎原の戦いや耳川の戦いで活躍したとする話もあるが、これを裏付ける史料は見つからない。
秋月氏は筑前秋月(現在の朝倉市)を本拠とした国人である。秋月文種が大友宗麟に攻められて滅ぶと、子の種実は毛利氏を頼って周防国へ逃れた。伝えられるところでは、このとき種実を迎えて住まいを提供したのが実久の兄・内田壱岐守である。
秋月種実はのちに大友氏と争って筑前・筑後に勢力を広げ、九州の有力な国人大名の一つとなった。
旧領回復と左右良岳城
種実は毛利氏の支援を受けて秋月に戻り、大友氏と争った。実久は毛利氏からの援軍を率い、永禄10年(1567年)の休松の戦いなどで功を挙げたとされる。その後、筑前の左右良岳城(麻底良城)の城主を任されたと伝わる。
日向高鍋への移封後
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州平定で秋月氏は日向国高鍋(財部)に移された。実久もこれに従い、隠居料を与えられて新納院高城の復興にあたったとされる。元和3年(1617年)に没したとされる。
これらの事績は、高鍋藩(秋月氏)の記録『本藩実録』や郷土史書にもとづくもので、同時代の文書では確認できていない。
ゆかりの地
- 麻底良城跡(福岡県朝倉市):実久が城主を任されたと伝わる山城


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