あじさか ながざね
| 地域 | 甲信越 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 上杉家臣 |
| 大名家 | 上杉 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 太刀・采配 |
| 衣装・甲冑 | 重臣具足 |
| 武将タイプ | 老練・七尾城代 |
鰺坂長実は上杉謙信の家臣で、近江の出身とされる。越中新庄城主として一向一揆との戦いにあたり、天正5年(1577)の七尾城攻略後には同城の城将に置かれた。謙信の死後、遊佐氏・温井氏らに七尾城を追われた。
目次
近江出身の上杉家臣
鰺坂長実(鯵坂とも書く)は戦国〜安土桃山時代の武士で、上杉氏の家臣である。通称は清介、官途は備中守と伝わる。生没年は不明。近江国の出身とされる。
元亀3年(1572)から、越中新川郡の新庄城の城主を務めたとされる。当時の越中では一向一揆が大きな勢力を持っていた。長実は謙信の越中平定の戦いに加わった。
越中では、神保氏・椎名氏などの国衆と一向一揆が争い、謙信はたびたび兵を出した。元亀3年には、新庄城に近い尻垂坂で一向一揆勢と大きな戦いがあったとされる。
七尾城の城将
能登の七尾城(石川県七尾市)は、能登守護畠山氏の居城である。天正5年(1577)、謙信は大軍で能登に攻め込み、七尾城を囲んだ。籠城した長続連らは長く持ちこたえたが、支城の陥落や城内の遊佐続光の内応もあって城は開いた。
七尾城を手に入れた謙信は、長実を城将に置いた。能登支配の拠点を任されたことになる。
七尾城の落城で能登畠山氏は事実上滅んだ。謙信はこの直後、加賀の手取川で織田軍を破ったとされる。
謙信の死と七尾退去
天正6年(1578)に謙信が没すると、上杉氏の能登支配は揺らいだ。遊佐続光や温井氏らは織田信長と結び、長実を七尾城から追い出した。天正7年(1579)9月のこととされる。
その後の長実の消息ははっきりしない。失脚して近江に帰ったともいう。能登はやがて信長に制圧され、七尾城には前田利家が入った。
ゆかりの地
- 七尾城跡(石川県七尾市):謙信の攻略後、長実が城将を務めた
- 新庄城跡(富山県富山市):越中で長実が城主を務めたとされる









































