きたばたけ とものり
| 地域 | 東海(伊勢) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 北畠氏(伊勢国司) |
| 大名家 | 北畠家 |
| 家紋 | 笹竜胆 |
| 主武器 | 刀 |
| 衣装・甲冑 | 具足・直垂 |
| 武将タイプ | 剣豪大名 |
北畠具教(きたばたけ とものり)は、伊勢の国司・北畠家の当主である。享禄元年(1528年)に生まれ、天正4年(1576年)に49歳で殺された。剣豪・塚原卜伝から剣を学んだ剣の達人だった。織田信長に攻められて信長の次男を養子に迎えたが、のちに信長の命で暗殺された。
3行でわかる北畠具教
- 南北朝時代から続く伊勢国司・北畠家の当主
- 塚原卜伝から奥義を伝えられた剣の達人だった
- 信長に大河内城を囲まれて信長の次男・信雄を養子とし、のちに三瀬で暗殺された
目次
伊勢国司・北畠家
北畠家は、南北朝時代の北畠親房・顕家の一族の流れをくみ、代々伊勢の国司をつとめた名門である。具教は多気(三重県津市美杉町)の霧山城を本拠に、南伊勢を治めた。
具教は剣術にすぐれ、塚原卜伝から奥義「一の太刀」を伝えられたといわれる。
信長との戦い
永禄12年(1569年)、織田信長は大軍で伊勢に攻めこみ、具教がこもる大河内城(三重県松阪市)を囲んだ。具教はよく守ったが、和睦を受け入れ、信長の次男・茶筅丸(のちの織田信雄)を北畠家の養子にむかえることになった。こうして北畠家は事実上、織田家に乗っ取られた。
三瀬の変
天正4年(1576年)、隠居していた具教は、三瀬の館(三重県多気郡大台町)にいたところを、信長と信雄の命を受けた旧臣たちにおそわれた。具教は剣をふるって奮戦したが討たれた。このとき、北畠一族も各地で殺され、北畠家は滅んだ(三瀬の変)。
北畠具教をめぐる人物
- 剣の師:塚原卜伝
- 養子:織田信雄(信長の次男)
- 子:北畠具房
- 戦った相手:織田信長
ゆかりの地
- 北畠氏館跡庭園(北畠神社)(三重県津市美杉町):北畠家の館の跡。庭園が残る
- 大河内城跡(三重県松阪市):信長の大軍を防いだ城
- 三瀬の館跡(三重県多気郡大台町):具教が討たれた地


織田信長
織田信雄
塚原卜伝







































