松田憲秀 | 北条家の筆頭家老。小田原征伐のさなかに豊臣方への内通をはかり、戦後に処刑された

松田憲秀のイラスト(イメージ)

まつだ のりひで

地域関東(相模)
所属勢力・属性北条氏(筆頭家老)
大名家松田家
家紋不詳
主武器―(采配)
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ北条家の宿老

松田憲秀(まつだ のりひで)は、小田原北条家の筆頭家老である。生まれた年はわかっておらず、天正18年(1590年)に処刑された。北条家中でもっとも大きな所領を持つ重臣だったが、小田原征伐で城が囲まれると豊臣方に内通しようとし、計画が発覚した。戦後、主家を裏切ろうとしたことをとがめられ、秀吉に処刑された。

3行でわかる松田憲秀
  • 北条家の家臣の中でもっとも大きな所領を持つ筆頭家老だった
  • 小田原征伐のさなか、豊臣方に寝返ろうとしたが、子の密告で発覚した
  • 北条家が降伏したあと、不忠をとがめられて処刑された
目次

北条家の筆頭家老

松田家は北条早雲の代から仕える譜代の家臣で、憲秀は北条氏康・氏政・氏直の三代に仕え、家臣の中で最大の所領を持つ筆頭家老となった。

小田原評定と内通

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の大軍が小田原城を囲んだ。城内では籠城か降伏かの話し合いが長く続いた(「小田原評定」の語源とされる)。

このなかで憲秀は、豊臣方の堀秀政を通じて内通し、城の一部を明け渡そうとした。しかし次男の松田直秀がこれを北条氏直に知らせ、憲秀は捕らえられた。

最期

7月、小田原城は降伏した。秀吉は北条氏政・氏照に切腹を命じるとともに、主家を裏切ろうとした憲秀も不忠として処刑した。

松田憲秀をめぐる人物

  • 主君:北条氏康/北条氏政/北条氏直
  • 子:笠原政晴/松田直秀
  • 内通の相手:堀秀政(豊臣方)

ゆかりの地

  • 小田原城(神奈川県小田原市):憲秀が仕えた北条家の本拠
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