さんぽんじ かつなが
| 地域 | 甲信越 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 上杉家臣 |
| 大名家 | 上杉 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 太刀・大槍 |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 上杉一門(事績不詳) |
山本寺勝長は越後上杉氏の一門・山本寺氏の人物で、通称は藤三郎。山本寺景長の弟、または子とされる。天正6年の御館の乱で上杉景虎方についたが、のちに上杉家に帰参したと伝わる。ただし事績を裏づける史料は少ない。
目次
上杉一門・山本寺氏
山本寺(さんぽんじ)氏は越後上杉氏の一門である。越後国頸城郡の山本寺を名字の地とし、越後西部の不動山城(糸魚川市)を拠点としたとされる。
上杉謙信の時代、山本寺定長は一門衆として上杉家に仕えた。
御館の乱と山本寺家
天正6年(1578)、謙信の死後に上杉景勝と上杉景虎が家督を争った。これが御館の乱である。定長は景虎方について敗れ、居城を捨てて行方をくらましたとされる。
山本寺家は、定長の子または弟とされる景長(孝長)が継いだ。景長は天正10年(1582)、柴田勝家らの軍に囲まれた越中魚津城に籠城し、6月3日に落城とともに自刃した。
勝長の動向
勝長は景長の弟、または子とされる。通称は藤三郎である。御館の乱では景虎方に与し、敗れた後は閑居していたが、のちに上杉家に帰参したと伝わる。
その後、文禄3年(1594)に理由があって改易されたという。さらに寛永14年(1637)に再び召し出され、米沢藩の高家(家格の高い家臣)として300石、のち500石を与えられたとされる。これらの年代は一人の生涯としては長く、同名の子孫との混同も考えられる。
ゆかりの地
- 魚津城跡(魚津市):山本寺景長らが籠城し自刃した城










































