ゆうき まさとも
| 地域 | 関東 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 下総結城氏 |
| 大名家 | 下総結城氏 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 太刀・采配 |
| 衣装・甲冑 | 重臣具足 |
| 武将タイプ | 「結城中興の祖」・名将 |
結城政朝(1479〜1547)は下総結城氏の15代当主である。3歳で家督を継ぎ、明応8年(1499)に重臣多賀谷和泉守を討って実権を取り戻した。宇都宮氏との戦いで旧領を回復し、「結城中興の祖」と呼ばれる。
目次
3歳での家督継承
結城政朝は文明11年(1479)、結城氏広の子として生まれた。結城氏は下総の結城城(茨城県結城市)を本拠とする一族である。結城氏は鎌倉時代の結城朝光に始まる家で、永享12年(1440)の結城合戦で一時大きく衰えていた。
文明13年(1481)、政朝はわずか3歳で家督を継いだ。15代当主とされる。幼い当主のもとで、家中では重臣の多賀谷和泉守が力を強めていた。
多賀谷和泉守の排除
明応8年(1499)、政朝は多賀谷和泉守を討ち、実権を取り戻した。辞典類は、これを家中統制(家臣団のとりまとめ)の成果として記している。
宇都宮氏との戦い
大永6年(1526)、政朝は下野の宇都宮忠綱を攻め、忠綱を鹿沼へ追った。宇都宮城には芳賀興綱が入った。
結城市の解説によると、政朝は宇都宮氏との戦いに勝ち、下野国中村の旧領を取り戻した。また水谷氏・多賀谷氏・山川氏と協調して、北下総から常陸西部にかけての勢力圏を築いた。
中興の祖と子の政勝
こうした実績から、政朝は「結城中興の祖」と呼ばれる。家督は子の政勝が継いだ。政勝は小田氏治を破って領土を広げ、分国法「結城氏新法度」を定めた。
政朝の子の高朝は下野の小山氏を継いだとされる。高朝の子の晴朝は政勝の養子となって結城家を継ぎ、のちに徳川家康の子・秀康を養子に迎えた。
政朝は天文16年(1547)7月13日に没した。69歳。
ゆかりの地
- 結城城跡(茨城県結城市):結城氏の本拠




























