寒川元隣 | 昼寝城を本拠とした東讃の国人

寒川元隣の肖像

さんかわ もとちか

地域四国
所属勢力・属性讃岐の国人(のち三好氏に従属)
大名家讃岐寒川氏
家紋―
主武器太刀
衣装・甲冑実戦具足
武将タイプ地方割拠・讃岐

讃岐東部の国人・寒川氏の当主で、昼寝城・虎丸城を拠点とした。元亀3年(1572年)に虎丸城を三好長治に譲って昼寝城へ退いた。のち十河存保に属して長宗我部元親と戦い、天正10年(1582年)の中富川の戦いで討死したとされる。

目次

東讃の国人・寒川氏

寒川元隣は、讃岐東部の国人・寒川氏の当主である。寒川氏は寒川郡を本拠とした古い一族で、室町時代には讃岐守護の細川氏に仕え、大内郡・寒川郡と小豆島に勢力をもったとされる。

本城の昼寝城(ひるねじょう)は、現在のさぬき市多和の山中にあった山城である。嘉吉年間(1441〜1444年)に寒川光治が築いたと伝わる。元隣は寒川元政の子で、父の死後に家督を継いだとされる。生年は分からない。家督を継いだ後、居城を昼寝城から虎丸城へ移したという。

三好氏との関係

16世紀、阿波の三好氏が讃岐へ勢力を伸ばした。永禄元年(1558年)には、三好長慶の弟・実休が大軍で讃岐に攻め入っている。讃岐の国人は三好方と反三好方に分かれ、寒川氏は香川・香西・安富氏とともに三好方に対抗する側に数えられる。

のちに寒川氏は三好氏に従った。元亀3年(1572年)、元隣は隣の安富盛定のはかりごとにより、主筋にあたる三好長治に虎丸城を譲り、昼寝城へ退いたとされる。

長宗我部氏との戦い

天正6年(1578年)頃から、土佐の長宗我部元親が讃岐へ侵攻した。天正10年(1582年)8月、元親は阿波の中富川で十河存保(三好一族)の軍を破った。元隣は存保に属して戦い、この戦いで討死したとされる。同じ年の8月から10月にかけて、長宗我部氏は東讃を平定した。

宇佐神社には、元隣が奉納したと伝わる太刀「蛇切丸」が残るとされる。

ゆかりの地

  • 昼寝城跡(香川県さぬき市):寒川氏の本城とされる山城。
  • 虎丸城跡(香川県東かがわ市):元隣が一時居城とし、のち三好長治に譲ったとされる城。

参考にした資料

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