いとう よしすけ
| 地域 | 九州 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 伊東氏 |
| 大名家 | 伊東氏 |
| 家紋 | 丸に庵木瓜 |
| 主武器 | 太刀・京風衣装 |
| 衣装・甲冑 | 華美具足 |
| 武将タイプ | 繁栄・悲壮 |
日向伊東氏の全盛期を築いた当主。日向48館を誇ったが、木崎原の戦いで島津軍に大敗し流浪の身となる。
目次
日向伊東氏の全盛を築いた当主
伊東義祐(いとう よしすけ)は、日向国(現在の宮崎県)の戦国大名・伊東氏の当主で、その全盛期を築いた人物です。伊東氏は日向に広く勢力を張り、義祐の代には「日向四十八館(しじゅうはちだて)」と呼ばれる多くの城砦を擁するにいたりました。
日向四十八館の栄華
伊東義祐の全盛期、伊東氏は日向のほぼ全域を支配下に置き、その繁栄を誇りました。都から文化を取り入れ、華やかな大名文化を花開かせたとも伝えられます。まさに、伊東氏の黄金時代でした。
木崎原の戦い
しかし元亀3年(1572年)、伊東氏は南の島津氏との木崎原(きざきばる)の戦いで大敗を喫します。寡兵の島津義弘が大軍の伊東勢を破ったこの一戦は「九州の桶狭間」とも呼ばれ、伊東氏の運命を暗転させました。
流浪の身と伊東氏の再興
木崎原の敗戦を境に伊東氏は衰退し、ついに島津氏に日向を追われて、義祐は流浪の身となりました。栄華から一転しての没落でした。しかし、義祐の孫・伊東祐兵はのちに豊臣秀吉に仕えて日向飫肥の大名となり、伊東氏を再興します。伊東義祐の生涯は、日向に栄華を誇りながら島津に敗れて流浪した、大名の栄枯盛衰を今に伝えています。






















