いいだ おきひで
| 地域 | 中国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 大内家臣 |
| 大名家 | 大内 |
| 家紋 | 丸に三ツ星 |
| 主武器 | 行政書状・数珠 |
| 衣装・甲冑 | 重臣具足 |
| 武将タイプ | 文治・奉行 |
大内義興・義隆に仕えた最高幹部の一人。大内家の外交・貿易(日明貿易)手続きを取り仕切った実務派。
目次
西国の大大名・大内氏
飯田興秀(いいだ おきひで)は、周防・長門(現在の山口県)を本拠とした西国の大大名・大内氏に仕えた最高幹部の一人です。大内氏は、大陸との貿易で巨富を築き、山口に華やかな大内文化を花開かせた名門でした。
大内義興・義隆の時代
飯田興秀が仕えたのは、大内氏の全盛期を築いた大内義興と、その子・義隆の時代です。大内氏はこの頃、西国に広大な版図を誇り、京の文化を移し植えた繁栄を謳歌していました。
日明貿易の実務
大内氏の富の源泉となったのが、明(中国)との日明貿易(勘合貿易)でした。飯田興秀は、この日明貿易の外交・貿易の手続きを取り仕切る実務派の幹部として、大内氏の経済を支えました。貿易の実務を担う有能な官僚は、大名家の財政に不可欠な存在でした。
大内氏の滅亡
しかし大内氏は、天文20年(1551年)、重臣・陶晴賢の謀反によって当主・義隆が討たれ、やがて毛利元就によって滅ぼされていきます。飯田興秀の生涯は、貿易で栄えた西国の名門・大内氏を、その実務の面から支えた幹部の姿を今に伝えています。

































