なりた うじなが
| 地域 | 関東(武蔵・忍、下野・烏山) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 成田氏(北条家に従う国衆)→ 豊臣氏 |
| 大名家 | 成田家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 国衆の当主 |
成田氏長(なりた うじなが)は、武蔵の忍城主・成田家の当主で、甲斐姫の父である。天文11年(1542年)に生まれ、文禄4年(1596年)に亡くなった。小田原北条家に従い、小田原征伐では小田原城に入った。そのあいだ忍城は一族が守り、石田三成の水攻めに耐えた。戦後、氏長は豊臣家のもとで下野の烏山城主となった。
3行でわかる成田氏長
- 武蔵の忍城を本拠とした成田家の当主で、北条家に従った
- 小田原征伐では小田原城にこもり、忍城は一族の成田長親らが守った
- 戦後、蒲生氏郷にあずけられたのち、烏山城主として大名に返り咲いた
目次
忍城主
成田家は武蔵北部の有力な国衆で、氏長は忍城(埼玉県行田市)を本拠とした。上杉謙信と北条家の争いのなかで、のちに北条家に従った。娘の甲斐姫は美しさと武勇で知られる。
小田原征伐
天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条家を攻めると、氏長は北条家の命で小田原城に入った。留守の忍城は一族の成田泰季・長親らが守り、石田三成の水攻めに耐えた。小田原城が降伏すると、忍城も開城した。
烏山城主
戦後、氏長は会津の蒲生氏郷にあずけられた。その後、娘の甲斐姫が秀吉の側室になったこともあり、下野の烏山城(栃木県那須烏山市)2万石の城主となった。文禄4年(1596年)に亡くなった。
成田氏長をめぐる人物
- 娘:甲斐姫
- 忍城を守った一族:成田泰季/成田長親
- 主君:北条氏政 → 豊臣秀吉
- あずかった大名:蒲生氏郷
ゆかりの地
- 忍城跡(行田市郷土博物館)(埼玉県行田市):成田家の居城
- 烏山城跡(栃木県那須烏山市):氏長がのちに城主となった城


甲斐姫
成田長親
石田三成
蒲生氏郷
豊臣秀吉






































