寺沢広高 | 唐津藩の初代藩主。朝鮮出兵の兵站を支え、長崎奉行もつとめた

寺沢広高のイラスト(イメージ)

てらざわ ひろたか

地域九州(肥前・唐津)
所属勢力・属性豊臣氏、のち徳川氏
大名家寺沢家
家紋不詳
主武器太刀
衣装・甲冑直垂・具足
武将タイプ実務にすぐれた大名

寺沢広高(てらざわ ひろたか)は、豊臣秀吉に仕え、のちに肥前の唐津藩の初代藩主となった武将である。永禄6年(1563年)に生まれ、寛永10年(1633年)に亡くなった。朝鮮出兵では肥前の名護屋城で兵や物資の送り出しをまかされ、長崎奉行もつとめた。関ヶ原の戦いでは東軍につき、天草も加えた領地を治めた。唐津城を築き、海岸の松原を整えたことでも知られる。

3行でわかる寺沢広高
  • 豊臣秀吉に仕え、唐津藩の初代藩主となった
  • 朝鮮出兵で名護屋からの兵站を支え、長崎奉行もつとめた
  • 唐津城を築き、虹の松原を整えた
目次

秀吉のもとで

広高は尾張の出身で、秀吉に仕えて実務の能力を認められた。朝鮮出兵のとき、肥前の名護屋城を拠点に、兵や物資を朝鮮へ送り出す役目をまかされた。

長崎奉行と唐津

広高は長崎奉行もつとめ、九州の海の守りと貿易にかかわった。関ヶ原の戦いでは東軍につき、天草も加えて12万石ほどを治める大名となった。

唐津城と虹の松原

広高は唐津城を築き、城下町を整えた。また防風・防潮のために海岸に松を植えたとされ、これがいまの虹の松原のもとになったといわれる。子の堅高の時代には、天草の領民も加わった島原・天草一揆が起きた。

寺沢広高をめぐる人物

  • 主君:豊臣秀吉
  • のちの主君:徳川家康
  • 子:寺沢堅高

ゆかりの地

  • 唐津城(佐賀県唐津市):広高が築いた城
  • 虹の松原(佐賀県唐津市):広高が整えたと伝わる松原
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