大河『豊臣兄弟!』の登場人物ガイド ― 誰がどの役?
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で才蔵が営む「筆屋」。だが、才蔵のような奈良の商人が扱った品は、筆だけではない。古くから都として栄えた奈良(南都)は、寺社と文化に支えられて、数々の名産を生み出してきた。ここでは、才蔵の店先に並んだかもしれない奈良の名品 ― 筆・墨・晒・酒を中心に、「商いの町・奈良」が育てた名産を紹介する。
才蔵の店に並んだ、奈良の名産
奈良は、東大寺や興福寺をはじめとする大寺社が集まり、写経や学問、法要がさかんな町であった。人が集い、文化が栄える場所には、それを支える道具や品々が生まれる。筆や墨、布や酒。奈良の名産の多くは、この「寺社と文化の都」という土壌から育ったものである。才蔵のような商人は、そうした名品を扱い、人々の暮らしと信仰を支えていた。
奈良筆 ― 日本の筆づくりの原点
まず筆頭に挙げられるのが奈良筆である。平安のはじめ、空海が唐から製法を伝えたのが起こりとされ、奈良は日本の筆づくりの発祥地となった。十数種類の獣毛を練り混ぜる高度な技は、今も国の伝統的工芸品として受け継がれている。才蔵の筆屋は、この長い伝統の上に成り立っていた。
奈良墨 ― 興福寺の灯明から生まれた
筆とくれば、墨である。奈良の墨は、興福寺などで灯明をともした際に出るすす(油煙)を集めて作られたのが始まりと伝わり、「南都油煙(なんとゆえん)」として名高い。筆と墨がそろってこそ、書や写経が成り立つ。奈良が「書の都」と呼ばれるにふさわしい、二つの名産である。
奈良晒 ― 「麻の最上」と讃えられた布
織物では、奈良晒(ならざらし)が知られる。苧麻(ちょま)という麻から織り、晒して純白に仕上げた高級麻布で、その白さと、汗をはじく心地よさが評判であった。江戸時代の書物には「麻の最上は南都なり」と記され、全国に重宝された。鎌倉のころにはすでに作られていたと考えられている。
晒が支えた、武士と寺社
奈良晒は、武士の正装である裃(かみしも)や、僧侶の法衣、茶の湯の茶巾などに用いられた。身分の高い人々の装いや、寺社の儀式を支える布だったのである。のちに幕府の御用品に指定され、大名への贈り物にもなった。奈良の布が、武家社会の格式を陰で支えていたといえる。
南都諸白 ― 奈良は清酒発祥の地
意外に思われるかもしれないが、奈良は清酒発祥の地でもある。奈良の正暦寺(しょうりゃくじ)では、室町時代に、麹米と掛米の両方に白米を使う「諸白(もろはく)造り」や、酒母のもとになる「菩提酛(ぼだいもと)」といった画期的な酒造りの技が生まれた。ここで醸された酒は「南都諸白」と呼ばれ、天下第一とまで讃えられた。
寺が造った酒「僧坊酒」
当時、質の高い酒を造っていたのは、じつは大きな寺であった。寺は広い荘園から米を集めることができ、知識と設備も整っていたからである。こうした寺の酒を「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ぶ。奈良の寺で磨かれた酒造りの技は、やがて各地へ広がり、今日の清酒の礎となった。
のちに名高くなった奈良の品々
奈良の名産は、まだある。酒粕に漬け込んだ奈良漬、一本の刀で彫り上げる一刀彫(奈良人形)、春日の神職が作ったと伝わる奈良団扇など、後の時代に全国へ知られた品も多い。いずれも、寺社と文化の都・奈良ならではの手仕事から生まれたものである。
才蔵という商人が生きた世界
こうして見ていくと、才蔵が営む筆屋は、奈良という大きな「商いと手仕事の町」の一部だったことがわかる。筆を売る店の隣には、墨屋があり、晒を扱う問屋があり、酒を商う店があった。秀長が育てた郡山の城下町へは、こうした奈良の商人や職人たちが移り住み、新しい町を活気づけていったのである。
まとめ ― 名産が物語る、奈良の底力
筆・墨・晒・酒。奈良の名産は、どれも寺社と文化の都という土壌から生まれ、長い時間をかけて磨かれてきた。才蔵のような商人は、その名品を扱い、人と品を結びつける役割を担っていた。一人の筆屋の向こうに、千年の都・奈良が積み上げてきた「ものづくりと商いの底力」が広がっているのである。
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