大道寺政繁 | 北条家の宿老で松井田城主。小田原征伐で降伏したのち豊臣方の案内役となり、戦後切腹

大道寺政繁のイラスト(イメージ)

だいどうじ まさしげ

地域関東(上野・松井田、武蔵・河越)
所属勢力・属性北条氏(宿老)
大名家大道寺家
家紋不詳
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ北条家の宿老

大道寺政繁(だいどうじ まさしげ)は、小田原北条家の宿老である。天文2年(1533年)に生まれ、天正18年(1590年)に58歳で切腹した。大道寺家は北条早雲とともに関東に来た「御由緒家」のひとつで、政繁は河越城代や上野の松井田城主をつとめた。小田原征伐で降伏したのち、豊臣方の案内役として北条方の城を攻めた。

3行でわかる大道寺政繁
  • 北条早雲以来の譜代の家・大道寺家の当主
  • 河越城代、のちに上野の松井田城主として北関東の守りを担った
  • 小田原征伐で降伏し、豊臣方として北条方の城を攻めたが、戦後に切腹を命じられた
目次

北条家の宿老

政繁は北条氏康・氏政・氏直に仕え、武蔵の河越城代として城下を整えたことで知られる。のちに上野の松井田城(群馬県安中市)の城主となり、碓氷峠を越えて関東に入る道を守った。

小田原征伐

天正18年(1590年)、前田利家・上杉景勝・真田昌幸らの北国勢が碓氷峠を越えて攻めこむと、政繁は松井田城で防いだが、約1か月後に降伏した。

その後、政繁は豊臣方の案内役となり、北条方の鉢形城や八王子城の攻撃に加わった。

最期

小田原城が開城したあと、秀吉は政繁に切腹を命じた。北条家の重臣でありながら北条方の城を攻めたことが、主家への不忠とみなされたためとも考えられている。

大道寺政繁をめぐる人物

  • 主君:北条氏康/北条氏政/北条氏直
  • 松井田城を攻めた相手:前田利家/上杉景勝/真田昌幸
  • 子:大道寺直繁

ゆかりの地

  • 松井田城跡(群馬県安中市):政繁が城主をつとめた城
  • 河越城本丸御殿(埼玉県川越市):政繁が城代をつとめた河越城の跡
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