さとみ よしやす
| 地域 | 関東(安房) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 里見氏(安房館山藩主) |
| 大名家 | 里見家 |
| 家紋 | 二つ引両 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 房総の大名 |
里見義康(さとみ よしやす)は、安房の大名・里見家の当主である。天正元年(1573年)に生まれ、慶長8年(1603年)に31歳で亡くなった。小田原征伐に遅れて参陣したため、豊臣秀吉に上総の領地を取り上げられたが、安房一国は保った。館山城を築いて本拠とし、関ヶ原の戦いでは東軍についた。
3行でわかる里見義康
- 里見義頼の子で、里見家の当主となった
- 小田原征伐への参陣が遅れ、上総の領地を没収されて安房一国となった
- 館山城を築き、関ヶ原の功で常陸鹿島に領地を加えられた
目次
小田原征伐の失敗
天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条家を攻めると、義康も小田原に参陣した。しかし秀吉の命令を守らず、独自に動いたことなどが問題とされ、上総の領地を取り上げられて安房一国(約9万石)のみとなった。
館山城
義康は安房の館山城(千葉県館山市)を本拠とし、城下町を整えた。関ヶ原の戦いでは東軍につき、宇都宮で上杉景勝の動きを見張った。その功で常陸の鹿島に3万石を加えられ、約12万石となった。
里見家のその後
義康は慶長8年(1603年)に31歳で亡くなった。子の忠義の代の慶長19年(1614年)、里見家は大久保忠隣の事件に連座して改易され、伯耆の倉吉に移された。この里見家の物語は、のちに曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の題材となった。
里見義康をめぐる人物
- 父:里見義頼
- 子:里見忠義
- 味方した相手:徳川家康
- 連座した事件の人物:大久保忠隣
ゆかりの地
- 館山城(城山公園)(千葉県館山市):義康が築いた城。八犬伝博物館がある
- 岡本城跡(千葉県南房総市):館山城の前の里見家の本拠


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