足利義明 | 小弓公方。房総の武将に担がれて関東の主導権を争い、第一次国府台合戦で北条氏綱に討たれた

足利義明のイラスト(イメージ)

あしかが よしあき

地域関東(下総・小弓)
所属勢力・属性足利氏(小弓公方)
大名家足利家
家紋足利二つ引両
主武器弓・太刀
衣装・甲冑直垂・具足
武将タイプ関東の貴公子

足利義明(あしかが よしあき)は、古河公方・足利政氏の子で、「小弓公方(おゆみくぼう)」と呼ばれた人物である。生まれた年はわかっておらず、天文7年(1538年)の第一次国府台合戦で討死した。兄の古河公方・足利高基と対立し、房総の武将たちに担がれて下総の小弓城(千葉市)に入り、関東の主導権を争った。

3行でわかる足利義明
  • 古河公方・足利政氏の子で、兄の高基と対立した
  • 房総の真里谷武田家などに担がれて小弓城に入り、「小弓公方」と呼ばれた
  • 第一次国府台合戦で北条氏綱・古河公方の軍に敗れて討死した
目次

小弓公方

義明は古河公方の家に生まれたが、兄の足利高基と争った。永正15年(1518年)ごろ、上総の真里谷武田家などに迎えられて下総の小弓城に入り、「小弓公方」と呼ばれる新しい勢力となった。里見義堯もこれを支えた。

第一次国府台合戦

天文7年(1538年)、義明は里見義堯らとともに下総の国府台に陣を構え、北条氏綱と古河公方・足利晴氏の連合軍と戦った。義明はみずから前線に出て戦ったが、討死した。

この戦いで小弓公方は滅び、北条家は関東で大きく力を伸ばすことになった。

足利義明をめぐる人物

  • 父:足利政氏
  • 兄:足利高基(古河公方)
  • 支えた武将:里見義堯/真里谷武田家
  • 戦った相手:北条氏綱/足利晴氏

ゆかりの地

  • 生実城跡(小弓城跡)(千葉市中央区):小弓公方の本拠
  • 国府台城跡(里見公園)(千葉県市川市):義明が討死した戦場
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