長坂光堅(釣閑斎) | 武田勝頼の側近。跡部勝資とともに『甲陽軍鑑』で「奸臣」とされた

長坂光堅のイラスト(イメージ)

ながさか みつかた

地域甲信越(甲斐)
所属勢力・属性武田氏(勝頼の側近)
大名家長坂家
家紋不詳
主武器―
衣装・甲冑肩衣・法体
武将タイプ勝頼の側近

長坂光堅(ながさか みつかた)は、武田信玄・勝頼に仕えた家臣で、出家後の長坂釣閑斎(ちょうかんさい)の名で知られる。永正10年(1513年)ごろに生まれ、天正10年(1582年)に亡くなった。勝頼の側近として重んじられたが、『甲陽軍鑑』では跡部勝資とともに勝頼を誤った道に導いた奸臣として描かれた。

3行でわかる長坂光堅
  • 信玄の代から仕え、勝頼の代に側近として重用された
  • 『甲陽軍鑑』では長篠の決戦をすすめた奸臣とされた
  • 武田家滅亡のさい、織田方に討たれたとされる
目次

勝頼の側近

光堅は甲斐の長坂家の出身で、信玄の代から仕えた。信濃の諏訪郡代などをつとめたのち、勝頼の代には跡部勝資とともに側近として重んじられた。

奸臣とされた評価

『甲陽軍鑑』では、光堅は跡部勝資とともに、長篠の戦いで宿老たちの反対をおして決戦をすすめたとされ、武田家を滅亡に導いた人物として描かれている。

ただし、『甲陽軍鑑』は高坂昌信の話をもとにした軍学書で、勝頼の側近に厳しい書き方をしている。光堅の実像については、まだわからないことが多い。

天正10年(1582年)、武田家が滅ぶと、光堅は織田方に捕らえられて討たれたとされる。

長坂光堅をめぐる人物

  • 主君:武田信玄/武田勝頼
  • 同僚:跡部勝資

ゆかりの地

  • 躑躅ヶ崎館跡(武田神社)(山梨県甲府市):武田家の本拠
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