大久保彦左衛門(忠教) | 家康に仕えた三河武士。『三河物語』を書き残し、「天下のご意見番」として講談で人気を集めた

大久保彦左衛門のイラスト(イメージ)

おおくぼ ひこざえもん

地域東海(三河)・関東(江戸)
所属勢力・属性徳川氏(旗本)
大名家大久保家
家紋大久保藤
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ頑固な三河武士

大久保彦左衛門(おおくぼ ひこざえもん)は、徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた旗本で、本名は大久保忠教(ただたか)。永禄3年(1560年)に生まれ、寛永16年(1639年)に80歳で亡くなった。徳川家の歴史と三河武士の生き方を書いた『三河物語』の作者として知られる。講談では「天下のご意見番」として人気を集めた。

3行でわかる大久保彦左衛門
  • 徳川家の重臣・大久保忠世の弟で、家康の戦いの多くに加わった
  • 徳川家の歴史と三河武士の忠義を記した『三河物語』を書いた
  • 講談では将軍にも遠慮なく意見する「天下のご意見番」として描かれた
目次

三河武士の一族

忠教は三河の大久保家に生まれた。大久保家は松平家(徳川家)に古くから仕える一族で、兄の大久保忠世は家康の重臣だった。

忠教は天正4年(1576年)ごろから戦いに出て、高天神城の戦いや、天正13年(1585年)の上田城の戦い(第一次上田合戦)などに加わった。大坂の陣では槍奉行をつとめたといわれる。

『三河物語』

元和8年(1622年)ごろから、忠教は『三河物語』を書いた。松平家(徳川家)の始まりから家康の活躍までを記し、三河武士がどれほど忠義をつくしてきたかを子孫に伝えようとしたものである。

そこには、戦場での働きよりも、要領のよい者が出世する世の中になったことへの不満も率直に書かれており、戦国時代を生きた武士の本音が伝わる史料となっている。

天下のご意見番

江戸時代の講談や芝居では、忠教は将軍にも遠慮なく意見を言う「天下のご意見番」として描かれ、魚屋の一心太助とともに活躍する人気者となった。ただし、これらの話の多くは創作である。寛永16年(1639年)に亡くなった。

大久保彦左衛門をめぐる人物

  • 主君:徳川家康/徳川秀忠/徳川家光
  • 兄:大久保忠世
  • 甥:大久保忠隣
  • 書き残したもの:『三河物語』

ゆかりの地

  • 立行寺(東京都港区白金):忠教の墓所
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