もんちゅうじょ むねかげ
| 地域 | 九州 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 大友家臣 |
| 大名家 | 大友 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 大槍 |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 勇猛・不屈 |
問註所統景は筑後国生葉郡の長岩城を本拠とした問註所氏の当主である。大友氏に属し、島津氏の侵攻に対して長岩城に籠城して守ったとされる。のち朝鮮出兵に加わり、文禄2年(1593)に朝鮮半島で戦死したと伝わる。
目次
問註所氏と長岩城
問註所氏は、鎌倉幕府で訴訟を扱った問注所の執事、三善氏の流れをくむとされる一族である。うきは市の解説によると、正和2年(1313)に康行が筑後へ下り、姓を問註所に改めて長岩に城を築いた。以後、一族は浮羽地方を長く治めた。
長岩城跡は現在の福岡県うきは市にある奇岩「長岩」の中にあり、本丸・二の丸・三の丸の跡が残る。支配地は生葉・竹野の二郡のうち15村300町と伝えられる。
大友方の筑後国衆
統景は天正のころ長岩城主となった。官途は刑部大輔である。問註所氏は豊後の大友氏に属し、統景の名の「統」は大友義統から与えられた一字とされる。
天正年間の後半、島津氏が九州北部へ勢力を広げ、筑後でも島津方につく国衆が出た。統景は大友方にとどまり、島津氏の侵攻に対して長岩城に籠城し、守り抜いたとされる。
朝鮮出兵と戦死
九州平定の後、統景は豊臣政権のもとで朝鮮出兵に加わった。『問註所家譜』によると、文禄2年(1593)9月、晋州城の西南にあたる河東で明の劉綎の軍と遭遇し、先鋒の兵とともに戦死したという。この記述は家の系譜によるもので、詳しい状況は他の史料で確かめる必要がある。
統景の死後、子の政連が長岩城を守ったが、慶長3年(1598)に開城した。これにより、問註所氏による浮羽の統治は約285年で終わった。政連はのち立花氏に仕えたとされる。
ゆかりの地
- 長岩城跡(福岡県うきは市):問註所氏の居城。奇岩名勝「長岩」の中に城跡が残る























