大友家– tax –

鎌倉時代から豊後の守護を務めた家。1550年、当主の大友義鑑が家臣に襲われる「二階崩れの変」で死去し、子の義鎮(宗麟)が家督を継いだ。宗麟は豊後・豊前・筑前・筑後・肥前・肥後の守護職を手に入れ、北九州に一大勢力を築いた。
宗麟はキリスト教を保護し、南蛮貿易で富を集めたことでも知られる。しかし1578年、日向の耳川の戦いで島津軍に大敗し、多くの重臣を失って家中の離反が相次いだ。立花道雪や高橋紹運らが筑前で奮戦したものの、島津の北上を食い止められず、宗麟は大坂へ出向いて豊臣秀吉に救援を求めた。
九州平定後、豊後一国は安堵されたが、子の義統が文禄の役で敵前から退いたことを咎められ、1593年に改易された。

1