おおうち さだつな
| 地域 | 東北 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 陸奥大内氏・伊達系 |
| 大名家 | 大内氏 |
| 家紋 | 丸に違い鷹の羽 |
| 主武器 | 太刀・密書 |
| 衣装・甲冑 | 塗具足 |
| 武将タイプ | 「変幻自在」・謀略 |
陸奥小手森城主。蘆名・田村・伊達の間で変節を繰り返し「小手森城撫で斬り」の悲劇を生むも、後に政宗の参謀として活躍。「変幻自在」・謀略と評され、周囲からの信頼も厚かったと伝わる。
陸奥の国人・大内氏
大内定綱は、陸奥国の小手森城などを本拠とした国人領主で、塩松(しおのまつ)の地に勢力を張った大内氏の当主である。南奥州は、蘆名・田村・伊達・二本松畠山といった諸勢力が入り乱れて覇を争う地であり、定綱のような中小の国人は、これらの大勢力の間で難しい舵取りを迫られ続けた。定綱はそうした厳しい環境のなかで家を保とうと苦心した武将である。
大勢力の狭間での変節
定綱は、蘆名氏・田村氏・伊達氏といった周辺の大勢力の間を、状況に応じて従う相手を変えながら渡り歩いた。こうした変節は不誠実とも映るが、強大な勢力に囲まれた中小領主が家を保つための、切実な生き残りの術でもあった。定綱は「変幻自在」と評されるほど、巧みに時勢を読んで身を処した。
小手森城の撫で斬り
若き伊達政宗に従うと見せて離反した定綱に対し、政宗は激しい怒りをもって報復した。天正十三年(1585)、政宗は定綱の属城・小手森城を攻め落とし、城内の者を撫で斬りにしたと伝えられる。この「小手森城の撫で斬り」は、政宗の苛烈さを世に知らしめると同時に、変節を重ねた定綱に降りかかった悲劇でもあった。
伊達政宗への帰参
本拠を追われて一時は他家を頼った定綱であったが、のちに再び伊達政宗のもとへ帰参した。かつて激しく敵対した相手でありながら、政宗は定綱の才を認めてこれを用い、定綱は政宗の参謀格として活躍するようになった。敵から一転して重臣となるこの経緯は、乱世ならではの主従の巡り合わせであった。
変転の生涯の評価
蘆名・田村・伊達の間を渡り歩き、撫で斬りの悲劇を招きながらも、最後は政宗の参謀として生き抜いた大内定綱の生涯は、変転きわまりないものであった。その身の処し方は後世さまざまに評されるが、強大な勢力に囲まれた南奥州の中小国人が、いかにして乱世を生き延びようとしたかを、定綱の歩みは生々しく物語っている。

















