大内家– tax –

周防・長門を本拠とした守護大名で、百済の王族の子孫と称した。大内義興は前将軍足利義稙を擁して上洛し、管領代としておよそ10年にわたって京都の政治を動かした。
義興の子義隆の代には、周防・長門・石見・安芸・備後・豊前・筑前の守護を兼ね、西日本で屈指の大名となった。本拠の山口は公家や文化人が集まって「西の京」と呼ばれ、フランシスコ・ザビエルも布教の許可を得ている。
しかし1551年、重臣の陶隆房(のちの晴賢)が反乱を起こし(大寧寺の変)、義隆は自害した。陶氏は大友家から大内義長を迎えて当主としたが、1555年の厳島の戦いで晴賢が毛利元就に敗れ、1557年に義長も自害して大内氏は滅亡した。

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