斎藤利三 | 明智光秀の重臣で春日局の父。本能寺の変に加わった

斎藤利三

さいとう としさだ

地域近畿
所属勢力・属性明智家臣
大名家明智
家紋―
主武器太刀・行政書状
衣装・甲冑黒漆威具足
武将タイプ明智の頭脳・忠節

斎藤利三は美濃出身の武将で、通称は内蔵助。稲葉一鉄に仕えたのち明智光秀の重臣となり、丹波黒井城を任された。本能寺の変では事前に計画を明かされた老臣の一人とされる。山崎の戦いの後に捕らえられ、処刑された。娘は春日局。

目次

美濃の斎藤氏と稲葉一鉄

斎藤利三は美濃(岐阜県)の出身で、通称は内蔵助(くらのすけ)である。生年は天文3年(1534年)とする説のほか、諸説ある。母は室町幕府の政所代・蜷川親順の娘とされ、兄は幕府奉公衆の石谷頼辰である。

初め美濃の稲葉良通(一鉄)に仕えた。のちに稲葉家を離れ、明智光秀に仕えた。

明智家の重臣として

光秀のもとで重臣となり、天正8年(1580年)ごろ丹波の黒井城(丹波市)を任され、1万石を与えられたとされる。丹波は光秀が平定した国で、黒井城はその要地であった。黒井城はもと赤井(荻野)氏の城で、光秀の丹波攻めで落ちた城である。

兄の頼辰は、四国の長宗我部元親と縁戚関係にあった。2014年には、利三と元親のやりとりを示す書状を含む「石谷家文書」の存在が明らかになった。織田信長の四国政策の転換と本能寺の変との関係を考える史料として注目されている。

本能寺の変と山崎の戦い

天正10年(1582年)6月2日、光秀は本能寺の信長を襲った。利三は、光秀から事前に襲撃を明かされた老臣の一人とされる。

6月13日の山崎の戦いでは明智軍の一翼として戦ったが、羽柴秀吉の軍に敗れた。利三は近江堅田に逃れて潜伏したが捕らえられた。6月17日、京都で処刑された。六条河原で斬られたとも、粟田口で磔にされたともいわれる。遺骸は京都の真如堂に葬られたと伝わる。

娘・春日局と子孫

利三の末娘・福は、のちに江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母となった。これが春日局である。この縁で、長男の利宗と次男の三存は幕臣に取り立てられた。春日局は江戸城大奥の基礎を整えた人物として知られる。

ゆかりの地

  • 黒井城跡(丹波市):明智家臣時代の利三が任された城
  • 真如堂(京都市左京区):利三が葬られたと伝わる寺

参考にした資料

美濃の斎藤氏

利三は美濃の斎藤氏の一族の出身です。美濃を治めた斎藤道三とは別の系統の斎藤氏で、美濃の守護代を務めた家の流れをくむとされます。

稲葉一鉄の家臣

利三ははじめ、西美濃三人衆の一人稲葉一鉄に仕えていました。しかしのちに一鉄のもとを離れ、明智光秀に仕えるようになります。

光秀の重臣へ

光秀に仕えた利三は、明智家の重臣として重く用いられました。家中の軍事の中心を担い、光秀の信頼の厚い家臣でした。

稲葉家との争い

利三が明智家に移ったことで、稲葉一鉄との間に争いが起こりました。この問題は織田信長の裁定にまで持ち込まれたと伝えられます。

丹波黒井城

光秀が丹波を平定すると、利三は丹波の黒井城を任されました。丹波の統治を支える重要な役目でした。

長宗我部家とのつながり

利三の兄頼辰の妻は、土佐の長宗我部元親の正室と姉妹だったとされます。明智家は、長宗我部家と織田家の間を取り持つ役目を担っていました。

四国政策の転換

信長は当初、長宗我部元親の四国での勢力拡大を認めていましたが、のちに方針を変え、長宗我部家を攻める準備を始めました。明智家の立場は難しいものとなりました。

本能寺の変の動機説

この四国政策の転換が、光秀が本能寺の変を起こした理由の一つではないかとする説があります。利三はその中心にいた人物として注目されています。

本能寺の変

1582年6月、光秀は京都の本能寺に滞在していた信長を襲いました。利三はこの戦いで先鋒を務めたとされます。

山崎の戦い

本能寺の変からわずか11日後、光秀は山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れました。利三も明智軍の一員として戦いました。

捕縛と処刑

山崎の戦いの後、利三は逃れましたが捕らえられ、京都の六条河原で処刑されました。

娘・春日局

利三の娘・福は、のちに三代将軍徳川家光の乳母となり、「春日局」として大奥で大きな力を持ちました。父が信長を討った明智家の重臣でありながら、娘は徳川将軍家の中枢に立ったのです。

春日局と稲葉家

福は稲葉一鉄の一族の稲葉正成に嫁ぎました。かつて父利三と争った稲葉家と、娘の代で結びついたことになります。

真正極楽寺に眠る

利三の墓は、京都の真正極楽寺(真如堂)に、親交のあった絵師海北友松が建てたと伝えられています。

光秀との深い絆

利三は、最後まで光秀と運命をともにした重臣でした。光秀の決断に深く関わった人物として、本能寺の変の謎を解く鍵を握る存在とも考えられています。

評価の移り変わり

江戸時代には、利三は主君の謀反に加わった人物として語られました。一方で、娘の春日局の存在によって、その名は将軍家とも結びついて伝えられています。

利三の評価

利三は、明智光秀の右腕として本能寺の変に深く関わった武将です。その娘が将軍家の乳母となったことは、戦国から江戸への時代の移り変わりを象徴する出来事です。

このイラストについて

黒い甲冑の武将が、巻物を手にし、陣幕や旗の並ぶ陣中を背にした姿です。

利三は明智光秀の重臣として、明智家の軍事を担いました。陣中の景色と手にした巻物は、光秀のそばで重要な判断に関わった利三の立場をイメージしています。本能寺の変へと続く、緊張した時代の空気を落ち着いた表情で表しました。顔立ちは想像によるものです。

※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。

明智家

美濃の土岐氏の一族とされる明智氏の出身、明智光秀を中心とする家。光秀の前半生には不明な点が多いが、足利義昭と織田信長の間を取り持つ形で頭角を現し、信長の家臣として近江坂本城を与えられた。

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明智秀満

家臣団

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