【豊臣兄弟!】第40回「あさひの輿入れ」あらすじと展開予想|あさひ・甚助・なか・家康…人物別に見る「この回の立ち位置」と史実のその後

浜松城へ向かうあさひの輿入れ行列(イラスト)

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第40回「あさひの輿入れ」は、2026年10月18日(日)放送です。第39回のラストで石川数正が徳川を出奔し、豊臣と徳川はいよいよ決戦かという空気になりました。そこへ大地震が起き、家康は秀吉の妹・あさひを嫁がせることを和睦の条件に持ち出す、という流れが伝えられています。

この記事では、あらすじの確認に加えて、登場人物ひとりひとりが「この回でどんな立場に立たされるのか」を予想し、史実ではそのあと誰がどうなったのかを一覧にまとめました。放送後には答え合わせを追記します。

目次

第40回「あさひの輿入れ」のあらすじ(伝えられている内容)

徳川との決戦が目前に迫ったところで、大地震が起きます。戦どころではなくなった豊臣方に対し、家康(松下洸平)は、秀吉の妹・あさひ(倉沢杏菜)を自分に嫁がせることを和睦の条件として求めます。あさひにはすでに夫・甚助(前原瑞樹)がいます。妹の暮らしを壊してでも天下のための縁組を選ぶのか。秀吉と秀長は難しい決断を迫られます。

史実では、この地震は天正13年11月29日(西暦1586年1月18日)の夜に起きた「天正地震」にあたります。秀吉は翌年早々に家康を攻める準備を進めていたとされますが、前線の城や兵糧が大きな被害を受け、出陣は取りやめになりました。地震の被害と、それで人生が変わった武将たちについては天正地震で人生が変わった人々で詳しく紹介しています。

人物別早見表 ― 第40回での立場(予想)と史実のその後

人物(演者)第40回での立場(予想)史実のその後
あさひ(倉沢杏菜)夫と別れ、44歳で家康に嫁ぐことを受け入れる天正14年(1586)5月、浜松で家康の正室に。天正18年(1590)1月、聚楽第で48歳で死去
甚助(前原瑞樹)妻を差し出す側。身を引くのか、抗うのか史実の前夫は副田甚兵衛吉成、または佐治日向守とされ、名前すら定まらない。離縁後は出家したとも伝わる
なか(坂井真紀)娘を遠くへ送り出す母同年10月、今度は自身が人質同然に岡崎へ下る
徳川家康(松下洸平)地震で救われ、縁組という形で条件を出す同年10月に上洛し、大坂城で秀吉に臣従
石川数正(迫田孝也)豊臣方に身を置き、徳川の内情を知る者として扱われる秀吉から所領を与えられ、のち信濃松本城主に
豊臣秀長(仲野太賀)妹と甚助への説得役家康の上洛時、前夜に自らの屋敷で家康をもてなしたと伝わる
豊臣秀吉(池松壮亮)戦をあきらめ、身内を差し出す決断家康を臣従させたのち、同年12月に太政大臣となる

予想① 妹への説得役は、また秀長になる

第39回で秀長は、数正に「いざとなれば私が浜松へ出向き、じかに頭を下げる」と言い切りました。茶々の側室話でも、秀吉に代わって本人と向き合ったのは秀長でした。第40回でも、あさひと甚助のもとへ足を運び、言いにくいことを伝えるのは秀長になると予想します。

ただ、今回の相手は他人ではなく実の妹です。茶々を説いたときのように「天下のため」という理屈だけでは押し切れないはずで、兄としての迷いがどこまで描かれるかが見どころになりそうです。

予想② 甚助は「名もなき夫」として、いちばん人間らしく描かれる

史実のあさひの前夫は、記録によって副田甚兵衛吉成とも佐治日向守とも書かれ、はっきりしません。離縁のあと自害したという話も、出家したという話もあります。つまり、天下の縁組の陰で、名前すら確かに残らなかった人物です。

ドラマがわざわざ甚助という役を立てて前原瑞樹さんを起用したのは、この「残らなかった側」の気持ちを描くためではないでしょうか。武将でも大名でもない一人の夫が、関白の兄たちにどう向き合うのか。史実の候補となる人物については副田吉成(甚兵衛)のページにまとめています。

予想③ なかの涙は、半年後の「人質」への伏線になる

娘を遠い浜松へ送り出すなかの姿は、この回の大きな見せ場になるはずです。そして史実では、その半年後、今度はなか自身が岡崎へ下り、家康の上洛を保証する人質同然の役目を負います。

岡崎では、徳川の家臣・本多作左衛門(重次)が、なかの宿所のまわりに薪を積ませたという逸話も残っています。第40回で、なかが「娘に会いに行けるなら」と口にするような場面があれば、次の展開への布石と見てよいでしょう。この人質事件のくわしい流れは大政所の人質事件と家康の上洛で紹介しています。

予想④ 家康の陣営では、数正の抜けた穴が語られる

徳川家の外交を長く担ってきた数正が去ったことで、徳川の内情は豊臣方に筒抜けになったと考えられます。家康が軍の決まりを改めたという話もあり、ドラマでも家臣たちが動揺する場面が描かれそうです。

そのなかで、家康のそばに残った重臣として酒井忠次がどう描かれるかにも注目です。数正と忠次は「徳川の両家老」と並び称された二人でした。二人の違いは石川数正と酒井忠次を比較で整理しています。

年表で見る ― 数正の出奔から家康の臣従まで

時期出来事
天正13年(1585)11月石川数正が徳川を出奔し、秀吉のもとへ
天正13年11月29日天正地震。秀吉は家康攻めを取りやめる
天正14年(1586)前半和睦の交渉が進み、あさひの縁組が決まる
天正14年5月あさひが浜松で家康の正室となる(44歳)
天正14年10月なか(大政所)が岡崎へ。家康が上洛し、大坂城で秀吉に臣従
天正14年12月秀吉が太政大臣となる
天正18年(1590)1月あさひが聚楽第で死去(48歳)

あさひが家康の正室だった期間は、実質わずか数年でした。天正16年(1588)に母の病気見舞いで京へ上り、2年後に聚楽第で亡くなっています。その最期と墓所については旭姫(朝日姫)の最期で詳しく紹介しています。

放送後の答え合わせ

放送後に、予想①〜④がどう描かれたかをここに追記します。

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まとめ ― 戦から縁組へ、兄弟が「身内」を差し出す回

第40回は、豊臣家の天下取りが「戦」から「縁組」へと切り替わる回になりそうです。差し出されるあさひ、身を引かされる甚助、送り出すなか、そして頭を下げる秀長。登場人物それぞれの立場を押さえておくと、放送がいっそう味わい深くなるはずです。答え合わせは放送後に追記します。

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