左近と右近 ― 名は似て、生き方は正反対だった二人の武将

武人の島左近とキリシタン大名の高山右近

戦国に「左近」と「右近」、よく似た通称で呼ばれた有名な武将が二人います。島左近と高山右近です。名前は一字違いでそっくりなのに、その生き方はまるで正反対でした。武に殉じた男と、信仰に生きた男。二人を並べて見てみましょう。

目次

「左近」と「右近」― 似た名の対照的な二人

左近・右近とは、もともと朝廷の武官の官職名(左近衛・右近衛)に由来する通称です。戦国の世にはこれを名乗る武将が多くいましたが、とりわけ名を残したのが島左近と高山右近でした。片や石田三成に仕えた武人、片やキリシタン大名。同じ時代を生きた二人の道は、大きく分かれていきます。

島左近 ― 武に生きた三成の懐刀

島左近(島清興)は、「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と謳われた猛将です。石田三成が自らの禄の半分を割いて迎えたと伝わり、その恩に武で応えました。関ケ原の戦いでは笹尾山の前衛で東軍を苦しめ、最後まで戦場に立ち続けた、まさに武人の中の武人でした。

高山右近 ― 信仰に生きたキリシタン大名

いっぽうの高山右近は、摂津・高槻城を治めたキリシタン大名です。もともとは和田惟長の家臣でしたが、対立の末に高槻城を得て城主となりました。熱心なキリスト教信者であり、茶の湯にも通じた文化人でもありました。武功を立てながらも、彼の人生の軸にあったのは常に信仰でした。

二つの「捨てたもの」

この二人には、意外な共通点があります。どちらも「損得を超えて、捨てた」人生でした。左近は高い禄で仕える道より、自分を認めた三成への義を選びました。右近は、豊臣秀吉のバテレン追放令に際して信仰を捨てることを拒み、大名の地位も領地もすべて手放しました。守るべきもののために、世俗の利をなげうつ。その一点で、二人は響き合っています。

関ケ原と、その後の明暗

関ケ原の戦いで、島左近は西軍として奮戦し、戦場に散ったと伝わります。武人らしい最期でした。高山右近はこの戦いには大きく関わらず、前田家に身を寄せて生きのびます。しかし徳川の世になると、キリシタン追放令によって国外へ追われ、遠くマニラの地で生涯を閉じました。戦場で散った武人と、信仰ゆえに海を渡った大名。二人の晩年もまた、対照的でした。

名は似て、生き方は正反対

島左近と高山右近。一字違いのよく似た名を持ちながら、一人は武に、一人は信仰に生きました。しかしどちらも、目先の利得ではなく、自分が信じるもののために生きた点では同じです。名前の一致は偶然でも、損得を超えて筋を通した生き方には、戦国という時代を貫く一本の芯が見えてきます。

各武将の生涯や関連する合戦・事件については、姉妹サイトでもくわしく解説しています。あわせてご覧ください。→ 戦国ヒストリー(姉妹サイト)

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