させ きよむね
| 地域 | 中国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 尼子・毛利系 |
| 大名家 | 尼子 |
| 家紋 | 丸に違い鷹の羽 |
| 主武器 | 太刀・行政書状 |
| 衣装・甲冑 | 重臣具足 |
| 武将タイプ | 苦渋・家老 |
尼子三家老の一人。月山富田城の防衛戦において最後まで抵抗するも、極限状態の中で毛利軍へ降伏。
目次
尼子三家老の一人・佐世清宗
佐世清宗(させ きよむね)は、出雲国(現在の島根県東部)の戦国大名・尼子氏に仕えた武将で、尼子家を支えた「尼子三家老」の一人に数えられた重臣です。尼子氏は、月山富田城を本拠に山陰・山陽に覇を唱えた大勢力でした。
毛利氏との死闘
尼子氏の宿敵となったのが、安芸から勃興した毛利氏です。両者は山陰の覇権をめぐって激しく争い、佐世清宗のような尼子の重臣たちは、この毛利との死闘の最前線で家を支えました。
月山富田城の籠城戦
しかし尼子氏は次第に劣勢に立たされ、永禄年間には本拠・月山富田城を毛利元就の大軍に包囲されます。佐世清宗は、この籠城戦において最後まで抵抗を続けました。城内は兵糧が尽き、飢餓に苦しむ極限状態に追い込まれていきます。
尼子氏の滅亡
極限の籠城戦の末、永禄9年(1566年)、尼子義久はついに降伏し、名門・尼子氏は滅亡しました。佐世清宗も、この極限状態のなかで毛利軍に降ったと伝えられます。佐世清宗の生涯は、三家老の一人として尼子氏を最後まで支え、月山富田城の落城に立ち会った重臣の姿を今に伝えています。


























