馬場信春 | 武田四天王「不死身の鬼美濃」。70回の戦で傷を負わず、長篠で勝頼の退却を守って散った

馬場信春のイラスト(イメージ)

ばば のぶはる

地域甲信越(甲斐・信濃)
所属勢力・属性武田氏(重臣・武田四天王)
大名家武田家(馬場氏)
家紋不詳
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ築城の名手・殿の名将

馬場信春(ばば のぶはる)は、武田信虎・信玄・勝頼の三代に仕えた重臣で、武田四天王のひとりである。信房とも名のり、官途名から「美濃守」と呼ばれた。永正12年(1515年)ごろに生まれ、天正3年(1575年)の長篠の戦いで討死した。生涯に70回あまりの戦に出て一度も傷を負わなかったと伝わり、「不死身の鬼美濃」と呼ばれる。

3行でわかる馬場信春
  • 信虎・信玄・勝頼の三代に仕えた武田家の宿老
  • 城の縄張り(設計)の名手で、信濃の深志城などを任された
  • 長篠の戦いで勝頼の退却を最後まで守り、討死した
目次

武田家三代の宿老

信春は甲斐の教来石(山梨県北杜市)の出身で、もとは教来石景政と名のった。信玄の信濃攻めで手柄を重ね、名門・馬場家の名を継いで馬場信春となった。

戦場での働きだけでなく、城づくりの名手としても知られる。信濃の深志城(のちの松本城)や、駿河・遠江の城の縄張りを手がけたと伝わる。

不死身の鬼美濃

信春は、70回をこえる戦いに出ながら一度も傷を負わなかったといわれる。冷静な判断力にすぐれ、無理な戦いを避けて味方の被害を少なくする戦い方を得意とした。

永禄11年(1568年)の駿河攻めでは、今川家の館に火を放つさい、宝物を持ち出そうとする兵に「宝を奪ったと言われては武田の恥」と言って焼かせたという話も伝わる。

長篠での最期

天正3年(1575年)の長篠の戦いの前、信春は山県昌景らとともに決戦を避けるよう勝頼に意見したと伝わる。しかし決戦となり、武田軍は織田・徳川連合軍に大敗した。

信春は退却する勝頼を見届けるまで踏みとどまり、追ってくる敵を防いで討死した。最期の戦いでも、勝頼の命を守る殿(しんがり)の役目を果たしたのである。

馬場信春をめぐる人物

  • 主君:武田信虎/武田信玄/武田勝頼
  • 武田四天王:山県昌景/内藤昌豊/高坂昌信
  • 長篠で戦った相手:織田信長/徳川家康

ゆかりの地

  • 長篠・設楽原古戦場(愛知県新城市):信春が討死した地。墓碑が残る
  • 松本城(長野県松本市):信春が城代をつとめた深志城の地
  • 教来石(山梨県北杜市):信春の出身地
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