かがみ もとまさ
| 地域 | 東海 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 森家臣 |
| 大名家 | 森 |
| 家紋 | 丸に違い鷹の羽 |
| 主武器 | 太刀・大槍 |
| 衣装・甲冑 | 武骨重厚具足 |
| 武将タイプ | 豪傑・古参家老 |
森家三代(可成・長可・忠政)に仕えた「森家の背骨」。鬼武蔵長可の暴走を止め、幼い忠政を育て上げた大功臣。
森家の重臣
元正は、美濃の森家に仕えた重臣です。森可成・長可・忠政の三代にわたって森家を支え続けました。
森可成に仕える
元正は、はじめ森家の当主・森可成に仕えました。可成は、織田信長の重臣として活躍した武将です。
可成の討死
1570年、可成は近江の宇佐山城の戦いで討死しました。
森家を支える柱
可成の死後、元正は森家を支える柱として、若い当主たちを助けました。
鬼武蔵・森長可
可成の子の長可は、勇猛で荒々しい性格から「鬼武蔵」と呼ばれた武将でした。
長可を支える
元正は、長可のそばで戦い、ときにはその激しい行動をいさめる役目も果たしたと伝えられます。
森蘭丸
長可の弟の森成利(蘭丸)は、信長の側近として仕え、本能寺の変で信長とともに命を落としました。
長可の討死
1584年、長可は小牧・長久手の戦いで討死しました。
幼い忠政
長可の死後、森家は末弟の忠政が継ぎました。元正は、若い忠政を支えて森家を守りました。
美濃の金山
森家は、美濃の金山城を本拠としていました。元正も、この地で森家を支えました。
信濃の川中島へ
1600年、森家は信濃の川中島に移されました。
美作の津山へ
1603年、森家は美作の津山に移され、津山藩の大名となりました。元正も、忠政に従って津山に移ったとされます。
森家の背骨
元正は、荒ぶる主家を陰で支え続けたことから、「森家の背骨」とも称されます。
最期
元正の晩年や最期の詳しいことについては、はっきりしない部分もあります。
宇佐山城の戦い
宇佐山城の戦いは、浅井・朝倉の軍が近江の坂本に攻め寄せた戦いで、可成はわずかな兵で城を守り、討死しました。
金山城
森家の本拠であった金山城は、現在の岐阜県可児市にあった山城です。
津山城
森忠政が築いた津山城は、多くの石垣を持つ壮大な城で、現在も石垣が残されています。
森忠政
元正が支えた忠政は、森可成の末子で、兄たちが次々と亡くなった後に森家を継ぎ、美作の津山藩の初代藩主となりました。
各務家
各務家は、森家の家臣として、のちに津山藩でも重臣の家として続いたとされます。
美濃の各務
各務の名は、美濃の地名に由来するとされます。現在の岐阜県各務原市の名にも、その名が残っています。
元正の評価
元正は、森可成・長可・忠政の三代にわたって仕え、激動の時代の森家を支え続けた重臣です。その忠義は、森家が江戸時代に津山藩の大名として続く土台となりました。
このイラストについて
白髪まじりの武将が片手を前に差し出し、家紋の幕を背にした姿です。
片手を前に差し出す姿は、勇猛で荒々しい当主の長可をいさめ、森家を陰で支えたと伝えられる元正をイメージしています。背景の幕の家紋は、森家の家紋を思わせるものです。顔立ちは想像によるものです。
※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。
美濃の森可成に始まる家。可成は織田信長の重臣だったが、1570年に浅井・朝倉軍との戦いで戦死した。子の長可は「鬼武蔵」と呼ばれた猛将で、小牧・長久手の戦いで戦死し、信長の小姓として知られる森蘭丸(成利)は本能寺の変で信長とともに亡くなった。
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