のむら まごだゆう
| 地域 | 東海 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 伊賀衆 |
| 大名家 | 伊賀衆 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | ― |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 『万川集海』の忍術名人 |
江戸時代の忍術書『万川集海』が伊賀の忍術名人11人の筆頭に挙げる忍び。声色を使い分けて相手を欺いた逸話が伝わる。
目次
『万川集海』に名を残す伊賀の忍び
野村孫太夫は、「野村の大炊孫太夫(おおいまごだゆう)」の名で伝わる伊賀の忍びである。延宝4年(1676年)に藤林保武がまとめた忍術書『万川集海』は、忍術の名人11人を挙げており、その最初に記されるのが孫太夫である。生没年や実名は分かっていない。
伊賀流忍者博物館によると、名に冠された野村は上柘植の西にある集落である。倉部川と柘植川が流れ、大和街道に沿って家並みがある。
『万川集海』の11人は、野村の大炊孫太夫、新堂の小太郎、楯岡の道順、下柘植の木猿・小猿、上野の左、山田の八右衛門、神戸の小南、音羽の城戸、高山の太郎四郎・太郎左衛門である。いずれも伊賀の地名を冠して呼ばれている。
声色を使い分けた逸話
同館が紹介する逸話では、孫太夫はある家に忍び込んだとき、気づいた主人に床下を槍で突かれた。孫太夫はじっとこらえ、相手に聞こえるように「家の者が起きたらしいので引き上げよう」と言った。さらに声色を変えて「そうしよう」と答えた。主人はほかにも仲間がいると思い、あわてて外へ飛び出した。孫太夫はその隙に家の奥へ入り込んだという。
これは江戸時代の忍術書に載る話であり、実際の出来事として確かめることはできない。
戦国時代の伊賀と天正伊賀の乱
戦国時代の伊賀では、国内の武士たちが惣国一揆を結び、自分たちで国を治めていた。天正9年(1581年)9月、織田信長の命を受けた織田信雄の軍勢が伊賀に攻め入り、国内の城館や寺社は焼き払われた。このため、惣国一揆のことを伝える史料は伊賀にほとんど残っていない。
孫太夫がこの戦いでどう動いたかを示す資料は、今回の調査では確認できなかった。
ゆかりの地
- 野村(三重県伊賀市):孫太夫の名に冠された集落。上柘植の西にある
- 伊賀流忍者博物館(三重県伊賀市上野丸之内):『万川集海』の名人11人を含む伊賀の忍者を紹介している





















