さいとう たつおき
| 地域 | 東海(美濃) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 斎藤氏(美濃国主) |
| 大名家 | 斎藤氏 |
| 家紋 | 二頭立波 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 直垂・具足 |
| 武将タイプ | 流浪の若き国主 |
斎藤龍興(さいとう たつおき)は、斎藤道三の孫で、美濃(今の岐阜県南部)の斎藤家最後の当主である。天文17年(1548年)に生まれ、父・斎藤義龍の急死により14歳ほどで家督を継いだ。永禄10年(1567年)、織田信長に稲葉山城を奪われて美濃を失い、その後は各地で信長と戦い続けたが、天正元年(1573年)に越前の刀根坂で討死した。
3行でわかる斎藤龍興
- 斎藤道三の孫、斎藤義龍の子。永禄4年(1561年)、父の急死で若くして美濃の国主となった
- 永禄7年(1564年)、家臣の竹中半兵衛にわずかな手勢で稲葉山城を乗っ取られた
- 永禄10年(1567年)に信長に美濃を奪われ、三好三人衆や朝倉家と結んで戦ったが、天正元年(1573年)に戦死した
目次
若き国主と竹中半兵衛
龍興は、父・義龍が永禄4年(1561年)に急死したため、若くして美濃の国主となった。そのころ尾張の信長はたびたび美濃に攻めこんでいた。
永禄7年(1564年)、家臣の竹中半兵衛が、舅の安藤守就とともにわずかな手勢で稲葉山城を乗っ取るという事件が起きた。半兵衛はのちに城を返したが、龍興の家中のまとまりのなさを示す出来事とされる。
美濃を失う
永禄10年(1567年)、美濃三人衆(安藤守就・稲葉良通・氏家直元)が信長に寝返り、信長は稲葉山城を落とした。龍興は城を出て伊勢長島へ逃れ、信長はこの地を「岐阜」と改めた(大河ドラマ「第9回「竹中半兵衛という男」の振り返り」参照)。
信長と戦い続けた流浪の日々
美濃を失った龍興は、その後も信長に抵抗を続けた。永禄12年(1569年)には三好三人衆とともに、将軍・足利義昭がいた京の本圀寺を襲っている(本圀寺の変、「第11回の振り返り」参照)。
やがて越前の朝倉義景を頼り、天正元年(1573年)、朝倉軍が信長に敗れた刀根坂の戦いで討死した。26歳ほどだったとされる。
斎藤龍興をめぐる人物
- 祖父:斎藤道三
- 叔母:濃姫(信長の正室)
- 家臣:竹中半兵衛/安藤守就
- 戦った相手:織田信長
- 頼った相手:三好三人衆/朝倉義景
ゆかりの地
- 岐阜城(稲葉山城)(岐阜県岐阜市):龍興の居城。信長に奪われ「岐阜城」となった
- 刀根坂(福井県敦賀市):龍興が討死した刀根坂の戦いの地










































