もうり よしかつ
| 地域 | 東海(尾張) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 織田氏(馬廻・黒母衣衆) |
| 大名家 | 毛利家(尾張) |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | 刀・槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 大手柄の武者 |
毛利良勝(もうり よしかつ)は、織田信長に仕えた武将で、通称の毛利新介(しんすけ)の名で知られる。生まれた年はわかっておらず、天正10年(1582年)の本能寺の変で亡くなった。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで、今川義元の首を取った人物である。中国地方の毛利家とは関係がない。
3行でわかる毛利良勝
- 尾張の出身で、信長の馬廻として仕えた
- 桶狭間の戦いで、服部一忠に続いて今川義元に斬りかかり、首を取った
- 本能寺の変のとき、二条新御所で織田信忠とともに討死した
目次
桶狭間の大手柄
永禄3年(1560年)5月19日、信長は桶狭間で休んでいた今川義元の本陣をおそった。『信長公記』によると、まず服部一忠(小平太)が義元に斬りかかり、続いて毛利新介が義元を討ち取って首を取った。
このとき義元に指を食いちぎられたという話も伝わる。わずかな兵で大軍の大将を討ち取ったこの戦いは、信長の名を一気に高めた。
本能寺の変
新介はその後も信長の側近として仕え、黒母衣衆に加わったとされる。天正10年(1582年)の本能寺の変では、信長の嫡男・織田信忠とともに二条新御所で明智軍と戦い、討死した。
毛利良勝をめぐる人物
- 主君:織田信長
- 討ち取った相手:今川義元
- ともに戦った仲間:服部一忠(小平太)
- 最期をともにした人物:織田信忠
ゆかりの地
- 桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市):義元が討たれたと伝わる地
- 桶狭間古戦場公園(名古屋市緑区):もう一つの義元最期の地


今川義元
織田信長
織田信忠
服部一忠
































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