服部一忠(小平太) | 桶狭間で今川義元に一番槍をつけた信長の家臣。のちに秀次事件に連座して切腹

服部一忠のイラスト(イメージ)

はっとり かずただ

地域東海(尾張・伊勢)
所属勢力・属性織田氏 → 豊臣氏(伊勢松坂城主)
大名家服部家(尾張)
家紋不詳
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ一番槍の武者

服部一忠(はっとり かずただ)は、織田信長・豊臣秀吉に仕えた武将で、通称の服部小平太(こへいた)の名で知られる。生まれた年はわかっておらず、文禄4年(1595年)に亡くなった。桶狭間の戦いで、今川義元に最初に斬りかかった人物である。のちに伊勢の松坂城主となったが、豊臣秀次事件に連座して切腹した。

3行でわかる服部一忠
  • 桶狭間の戦いで今川義元に最初に槍をつけ、ひざを斬られた
  • のちに秀吉に仕え、伊勢松坂城主となった
  • 豊臣秀次事件に連座し、切腹を命じられた
目次

桶狭間の一番槍

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで、小平太は今川義元の本陣に突入し、最初に義元に槍をつけた。しかし義元に反撃されてひざを斬られ、続いて斬りかかった毛利新介(良勝)が義元を討ち取った(『信長公記』)。

秀吉の家臣として

信長の死後、一忠は豊臣秀吉に仕え、伊勢の松坂城主(3万5千石)となった。秀吉の甥・豊臣秀次に付けられた家臣の一人だった。

秀次事件

文禄4年(1595年)、秀次が謀反を疑われて切腹させられると、秀次に付けられていた一忠も責任を問われ、切腹を命じられた。桶狭間の英雄も、豊臣家の内紛に巻きこまれて最期を迎えた。

服部一忠をめぐる人物

  • 主君:織田信長/豊臣秀吉
  • 仕えた関白:豊臣秀次
  • ともに義元を討った仲間:毛利良勝(新介)

ゆかりの地

  • 桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市):義元に一番槍をつけたと伝わる地
  • 松坂城跡(三重県松阪市):一忠が城主をつとめた地(城はのちに蒲生氏郷が築いたもの)
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