さいとう よしたつ
| 地域 | 東海(美濃) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 斎藤氏(美濃国主) |
| 大名家 | 斎藤家(一色氏を名のる) |
| 家紋 | 二頭立波 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 父を討った国主 |
斎藤義龍(さいとう よしたつ)は、斎藤道三の子で、美濃の国主となった武将である。大永7年(1527年)に生まれ、永禄4年(1561年)に35歳で急死した。弘治2年(1556年)の長良川の戦いで父の道三を討ち、美濃の実権をにぎった。生前は織田信長の美濃攻めを防ぎ続けた。
3行でわかる斎藤義龍
- 斎藤道三の子で、実は前の美濃守護・土岐頼芸の子だといううわさもあった
- 父の道三と対立し、長良川の戦いで道三を討った
- 室町幕府にも認められて国主の地位を固め、信長の美濃攻めを防いだが35歳で急死した
目次
道三との対立
義龍は斎藤道三の長男として生まれた。母は土岐頼芸の側室だったとされ、義龍は実は頼芸の子ではないかといううわさがあったと伝わる。
天文23年(1554年)ごろ、道三は義龍に家督をゆずったが、その後も義龍の弟たちをかわいがった。廃されることを恐れた義龍は、弘治元年(1555年)に二人の弟を殺し、父と対立した。
長良川の戦い
弘治2年(1556年)、義龍は長良川(岐阜市)で道三と戦った。美濃の家臣の多くは義龍についたため、道三の軍は少なく、道三は討ち取られた。道三の娘婿の織田信長は救援に向かったが、間に合わなかった。
国主として
義龍は室町幕府に働きかけて一色の名字を名のることを許されるなど、美濃の国主としての地位を固めた。信長はたびたび美濃に攻めこんだが、義龍はこれを防いだ。
しかし永禄4年(1561年)、義龍は35歳で急死した。跡を継いだ子の斎藤龍興は若く、やがて信長に稲葉山城を奪われることになる。
斎藤義龍をめぐる人物
- 父:斎藤道三
- 子:斎藤龍興
- 異母妹:濃姫(帰蝶)
- 戦った相手:斎藤道三/織田信長
ゆかりの地
- 岐阜城(稲葉山城)(岐阜市):義龍の居城
- 長良川古戦場(岐阜市):道三と戦った地。道三塚がある
- 常在寺(岐阜市):斎藤家の菩提寺。道三・義龍の肖像画が伝わる


斎藤道三
斎藤龍興
織田信長
濃姫







































