ひゃくたけ ともかね
| 地域 | 九州 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 龍造寺四天王 |
| 大名家 | 龍造寺四天王 |
| 家紋 | 丸に剣片喰 |
| 主武器 | 大太刀 |
| 衣装・甲冑 | 武者具足 |
| 武将タイプ | 勇猛・武骨 |
龍造寺四天王の一人。主君・隆信の武勇を支え筑後平定戦などで先鋒を務めた武者。
目次
龍造寺四天王の一人・百武賢兼
百武賢兼(ひゃくたけ ともかね)は、肥前(現在の佐賀県)の戦国大名・龍造寺氏に仕えた武将で、主君・龍造寺隆信を支えた精鋭「龍造寺四天王」の一人に数えられた武者です。四天王は、隆信の肥前統一を武勇で支えた勇将たちでした。
肥前の熊・龍造寺隆信
龍造寺隆信は、一時の苦境から巻き返して肥前を統一し、「肥前の熊」と恐れられる大勢力を築きました。百武賢兼のような四天王の武勇が、この隆信の飛躍の原動力となったのです。
筑後平定戦の先鋒
百武賢兼は、龍造寺氏が勢力を肥前の外へと広げていくなかで、筑後平定戦などの合戦において先鋒を務めたと伝えられます。主君・隆信の武威を支え、常に軍の最前線に立つ勇猛な働きを見せたのです。
龍造寺から鍋島へ
龍造寺隆信の死後、肥前の実権は重臣・鍋島直茂へと移り、佐賀藩は鍋島氏が治めることになります。百武賢兼のような四天王の武名は、龍造寺の栄光とともに語り継がれました。賢兼の生涯は、主君の武勇を支えて先鋒を務めた、龍造寺四天王の一人としての武を今に伝えています。



















