ゆうき ひでやす
| 地域 | 北陸 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 徳川氏・豊臣氏(養子)・結城氏 |
| 大名家 | 結城氏/越前松平家 |
| 家紋 | 丸に三ツ太鼓(結城家)・三つ葉葵 |
| 主武器 | 槍(御手杵) |
| 衣装・甲冑 | 大将具足 |
| 武将タイプ | 二人の天下人を父に持つ猛将 |
結城秀康(ゆうき ひでやす)は、徳川家康の次男である。家康の子として生まれながら、父に認められるまでに時間がかかり、少年期には羽柴秀吉の養子として大坂へ送られた。さらに関東の名門・結城家を継ぎ、最後は越前六十八万石の大大名となる。「秀康」という名の「秀」は秀吉から、「康」は家康から取ったものと伝わり、その名のとおり二人の天下人を父に持った男であった。ここでは、家を渡り歩きながら武勇と器量で存在感を示した秀康の生涯をたどる。
- 天正2年(1574年)、徳川家康の次男として生まれる。小牧・長久手の講和で秀吉の養子となり、羽柴秀康と名乗った
- 天正18年(1590年)、下総の結城晴朝の養子となって結城家を継いだ。関ヶ原のときは宇都宮にとどまり、上杉景勝らを抑えた
- 戦後、越前北ノ庄に移って福井藩の祖となった(67万石とも68万石とも)。慶長12年(1607年)、34歳で没した
認められなかった次男 ─ 於義伊の誕生
秀康は天正二年(一五七四年)二月、遠江国敷知郡宇布見村(現在の浜松市)に生まれた。母は於古茶(長勝院)、幼名は於義伊(おぎい)という。母が正室・築山殿に認められていなかったこともあり、家康は生まれた子をすぐには我が子として扱わなかった。於義伊が父と対面できたのは三歳のころで、それも兄・松平信康のとりなしによるものだったと伝わる。家康の次男という立場にありながら、秀康の人生は最初から「父との距離」を抱えて始まった。
秀吉の養子へ ─ 小牧・長久手の講和と「羽柴秀康」
天正十二年(一五八四年)、家康と秀吉が争った小牧・長久手の戦いが講和で終わると、於義伊は秀吉のもとへ養子として送られた。養子とはいえ、実質的には家康から差し出された人質であった。同年十二月、元服して「羽柴三河守秀康」と名乗り、河内国に一万石を与えられる。天正十五年(一五八七年)の九州征伐では十四歳で初陣を飾り、豊前の岩石城攻めで先鋒を務めた。豊臣家の一員として、秀康は武将としての第一歩を踏み出したのである。
結城家を継ぐ ─ 関東の名門へ
やがて秀吉に実子の鶴松が生まれると、養子たちの立場は揺らぎはじめる。天正十八年(一五九〇年)、小田原征伐ののち、秀康は下総の名門・結城家へ養子に入ることになった。後継ぎを求めていた結城晴朝が秀吉に願い出たもので、秀康は江戸重通の娘を妻に迎え、結城城に入って結城領十万一千石を継いだ。家名を守りたい晴朝と、秀吉・家康の双方とつながる秀康の組み合わせは、結城家を戦国の世から次の時代へ生き残らせる選択でもあった。結城家伝来と伝わる天下三名槍の一つ「御手杵」は、この秀康の家に受け継がれていく。
関ヶ原 ─ 宇都宮で上杉を抑える
秀吉の死後、慶長四年(一五九九年)に石田三成が七将に襲われて佐和山へ退くと、その道中の護衛を務めたのが秀康であった。三成はこれに感謝し、名刀・正宗を贈ったと伝わる(のちに「石田正宗」と呼ばれる)。慶長五年(一六〇〇年)、家康が会津の上杉景勝を討つために東へ向かい、三成が西で挙兵すると、秀康は宇都宮にとどまって上杉の抑えを命じられた。関ヶ原の本戦には加わらなかったものの、上杉軍を関東に釘付けにしたこの役目は、家康が西へ軍を返すうえで欠かせないものであった。
越前六十八万石 ─ 福井藩の祖
関ヶ原の戦いののち、秀康はその功を認められ、同年十一月に越前国北ノ庄六十八万石余へ加増移封された。翌年に入部し、北ノ庄城の整備と城下町づくりを進める。のちの福井藩の出発点である。官位も慶長二年(一五九七年)に参議、慶長十年(一六〇五年)には権中納言へと進み、大名としても一門としても重きをなした。一般には関ヶ原の後に松平姓へ戻ったとされるが、この時期にどの名字を名乗っていたかを示す一次史料はなく、はっきりしていない。
早すぎる死 ─ 三十四年の生涯
しかし秀康に残された時間は長くなかった。慶長十二年(一六〇七年)閏四月八日、秀康は三十四歳(数え)で世を去る。越前の家督は嫡男の松平忠直が継ぎ、ほかの子たちもそれぞれ家を興して、秀康の血筋は越前松平家として江戸時代を通じて続いた。徳川将軍家の跡を継いだのは弟の秀忠であったが、兄として一目置かれた秀康の家は、幕府のなかでも特別な家として扱われたと伝わる。
武勇と気骨を伝える逸話
秀康には、その器の大きさを物語る逸話が多い。伏見城で相撲見物をした際、騒ぐ観客をひと睨みしただけで静まらせたという話は、その威厳を伝えるものとして知られる。また、出雲阿国のかぶき踊りを見て大いに褒め、「天下一の男となることかなわず、あの女にさえ劣りたるは無念」ともらしたとも伝わる。天下人の子として生まれながら天下を継ぐことのなかった秀康の胸の内が、この言葉ににじんでいるようにも読める。
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この武将をもっと知る本
結城秀康をもっと知りたい人向けに、入門書と小説から選びました。
【入門書・漫画】戦国人物伝 結城秀康(ポプラ社)
家康の次男が秀吉の養子になり、越前福井藩の初代藩主になるまでを漫画でたどれます。小学生向けですが、大人がざっと知るのにも便利です。
【歴史小説】司馬遼太郎『豊臣家の人々』
秀康を主人公にした一編「結城秀康」を収録。「秀吉と家康、二人の父を持つ男」の屈折した胸の内を味わえます。
結城秀康をめぐる人物
ゆかりの地
- 福井城跡(福井市):秀康が築いた福井藩の居城
- 結城城跡(茨城県結城市):養子に入った結城家の居城
- 高野山 松平秀康及び同母霊屋(和歌山県高野町):秀康と母の霊屋。国の重要文化財
- 運正寺・孝顕寺(福井市):秀康ゆかりの寺。はじめ孝顕寺に葬られ、のち運正寺に改葬されたと伝わる
この人物をもっと知る本
- 【漫画】『コミック版日本の歴史 戦国人物伝 結城秀康』(ポプラ社):秀吉の養子から福井藩の祖になるまでを漫画でたどれる
- 【歴史小説】司馬遼太郎『豊臣家の人々』(中公文庫・角川文庫):秀康を描いた一編を収録。秀吉と家康、二人の父を持つ男の胸の内を味わえる

















