こまつひめ
| 地域 | 甲信越(信濃)・関東(上野沼田) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 真田氏(真田信之の正室) |
| 大名家 | 真田家(本多家の出身) |
| 家紋 | 六文銭(真田家) |
| 主武器 | 薙刀(伝承) |
| 衣装・甲冑 | 小袖・打掛 |
| 武将タイプ | 武家の賢妻 |
小松姫(こまつひめ)は、徳川家の重臣・本多忠勝の娘で、真田信之の妻である。稲姫とも呼ばれる。天正元年(1573年)に生まれ、元和6年(1620年)に48歳で亡くなった。関ヶ原の戦いの前、敵となった義父・真田昌幸が沼田城に入ろうとしたとき、これをこばんだ話で知られる。
3行でわかる小松姫
- 本多忠勝の娘で、徳川家康の養女として真田信之に嫁いだ
- 関ヶ原の前、西軍についた義父・昌幸を沼田城に入れなかった
- 九度山に流された昌幸・幸村父子に、ひそかに仕送りを続けたと伝わる
目次
真田家へ
小松姫は本多忠勝の長女として生まれた。徳川家と真田家の関係を結ぶため、家康(または秀忠)の養女として真田昌幸の長男・信之に嫁いだ。
婿選びのさい、小松姫が並んだ大名の息子たちの顔をのぞきこんで品定めをし、それをとがめた信之を選んだという話も伝わるが、これは後世の創作とされる。
沼田城の留守居
慶長5年(1600年)、真田家は東軍の信之と、西軍の昌幸・幸村に分かれた(犬伏の別れ)。上田へ帰る途中の昌幸は、孫の顔を見たいと信之の沼田城をおとずれた。
留守を預かっていた小松姫は、敵味方に分かれた以上、城には入れられないと門を閉ざした。その一方で、子どもたちを連れて城の外で昌幸に会わせたと伝わる。昌幸は「さすが本多忠勝の娘」とほめたという。
昌幸・幸村への心づかい
関ヶ原のあと、昌幸と幸村は紀伊の九度山に流された。小松姫はその後も二人に食べ物や品物を送り続けたといわれる。
元和6年(1620年)、病気の療養のため草津の湯へ向かう途中、武蔵の鴻巣で亡くなった。信之はその死を深く悲しんだと伝わる。
小松姫をめぐる人物
- 父:本多忠勝
- 養父:徳川家康(徳川秀忠とも)
- 夫:真田信之
- 義父・義弟:真田昌幸/真田幸村
ゆかりの地
- 大英寺(長野県上田市):小松姫の霊屋がある寺
- 勝願寺(埼玉県鴻巣市):小松姫の墓がある寺
- 沼田城跡(群馬県沼田市):昌幸の入城をこばんだ城


真田信之
本多忠勝
真田昌幸
真田幸村
徳川家康







































