龍造寺家– tax –

肥前の国人で、もとは少弐氏の家臣だった。龍造寺隆信が家督を継ぐと少弐氏を滅ぼし、1570年の今山の戦いで大友軍の大軍を夜襲で破って肥前の統一へ進んだ。その後、筑前・筑後・肥後などにも勢力を広げ、「五州二島の太守」と称された。
1584年、島原の有馬晴信を攻めた沖田畷の戦いで、島津・有馬の連合軍に敗れて隆信は戦死した。その後、家中の実権は重臣の鍋島直茂に移り、江戸時代には鍋島氏が佐賀藩を治めることになる。
成松信勝・百武賢兼・江里口信常・円城寺信胤ら、「龍造寺四天王」と呼ばれる勇将たちの多くが沖田畷で隆信とともに討死している。

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