たけだ よしのぶ
| 地域 | 甲信越(甲斐) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 武田氏(信玄の嫡男) |
| 大名家 | 武田家 |
| 家紋 | 武田菱 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 悲運の嫡男 |
武田義信(たけだ よしのぶ)は、武田信玄の嫡男である。天文7年(1538年)に生まれ、永禄10年(1567年)に30歳で亡くなった。今川義元の娘を妻とし、武田家の跡継ぎとされていた。しかし父の信玄が今川家との同盟を破る方向に動くと、これに反対して父と対立し、廃嫡されて甲府の東光寺に幽閉された。
3行でわかる武田義信
- 信玄の嫡男で、今川義元の娘を妻にむかえた
- 第四次川中島の戦いなどで武田軍の一翼をになった
- 父との対立(義信事件)で廃嫡・幽閉され、30歳で亡くなった
目次
武田家の跡継ぎ
義信は信玄と正室・三条夫人の長男として生まれた。天文21年(1552年)、武田・今川・北条の三国同盟の一環として、今川義元の娘(嶺松院)を妻にむかえた。
永禄4年(1561年)の第四次川中島の戦いでは、武田軍の一隊をひきいて上杉軍と戦ったと伝わる。
義信事件
永禄3年(1560年)に今川義元が桶狭間で討たれると、信玄は弱った今川家の領地・駿河をねらうようになった。今川家から妻をむかえていた義信はこれに反対した。
永禄8年(1565年)、義信の守役・飯富虎昌らが信玄に背く計画を立てたとして処刑され、義信も東光寺(甲府市)に幽閉された。これを「義信事件」という。
最期
永禄10年(1567年)、義信は東光寺で亡くなった。30歳だった。自害したとも病死ともいわれる。義信の死後、四男の勝頼が武田家の跡継ぎとなった。翌年、信玄は駿河に攻めこみ、今川家との同盟は終わった。
武田義信をめぐる人物
- 父母:武田信玄/三条夫人
- 妻:嶺松院(今川義元の娘)
- 守役:飯富虎昌
- 異母弟:武田勝頼
ゆかりの地
- 東光寺(山梨県甲府市):義信が幽閉され、亡くなった寺。墓がある
- 躑躅ヶ崎館跡(武田神社)(山梨県甲府市):武田家の本拠


武田信玄
武田勝頼
今川義元
今川氏真
飯富虎昌







































