かまち しげなみ
| 地域 | 九州 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 筑後蒲池氏 |
| 大名家 | 筑後蒲池氏 |
| 家紋 | 丸に三ツ引き |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 華美具足 |
| 武将タイプ | 悲壮・謀殺 |
筑後柳川城主。大友から龍造寺へ乗り換えるも隆信に疑われ、肥前佐賀へ呼び出されて殺害された悲運の当主。
目次
筑後の名族・蒲池氏の蒲池鎮漣
蒲池鎮漣(かまち しげなみ)は、筑後国(現在の福岡県南部)の名族・蒲池氏の武将で、柳川城を本拠としました。蒲池氏は、堅城・柳川城を擁し、「筑後十五城」の旗頭ともされた、この地方を代表する一族でした。
大友から龍造寺へ
戦国末期、筑後をめぐって豊後の大友氏と肥前の龍造寺氏が争うなか、蒲池鎮漣は、当初従っていた大友氏から、勢いを増す龍造寺隆信へと乗り換えました。大勢力の趨勢を見極めた選択でしたが、これが悲劇の始まりとなります。
隆信の猜疑
堅城・柳川城を擁する蒲池氏の力を、龍造寺隆信は次第に警戒するようになりました。「肥前の熊」と恐れられた隆信は、権謀術数を辞さぬ人物であり、蒲池鎮漣に疑いの目を向けたのです。
謀殺の悲劇
天正9年(1581年)、龍造寺隆信は、蒲池鎮漣を肥前佐賀へと呼び出し、そこで謀って殺害したと伝えられます。筑後の名族は、こうして龍造寺の謀略の犠牲となりました。蒲池鎮漣の生涯は、大勢力のはざまで乗り換えを選びながら、その力ゆえに猜疑を招いて散った、筑後名族の悲運を今に伝えています。


















