仁科盛信 | 信玄の五男。武田家滅亡のさい、織田の大軍に高遠城で唯一抵抗して散った

仁科盛信のイラスト(イメージ)

にしな もりのぶ

地域甲信越(信濃・高遠)
所属勢力・属性武田氏(信玄の五男、仁科家を継ぐ)
大名家武田家・仁科家
家紋武田菱
主武器刀・槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ最後の抵抗者

仁科盛信(にしな もりのぶ)は、武田信玄の五男で、信濃の名族・仁科家を継いだ武将である。弘治3年(1557年)ごろに生まれ、天正10年(1582年)に26歳ほどで討死した。織田信長の大軍が武田領に攻めこんだとき、多くの武田家臣が戦わずに降伏したり逃げたりするなか、盛信は高遠城にこもって最後まで戦った。

3行でわかる仁科盛信
  • 信玄の五男で、信濃・安曇の名族・仁科家を継いだ
  • 武田家滅亡のさい、高遠城を守る城将となった
  • 織田信忠の降伏勧告を断り、高遠城で奮戦して討死した
目次

仁科家を継ぐ

盛信は信玄の五男として生まれ、信濃の安曇郡(長野県大町市周辺)を治める名族・仁科家を継いだ。妹の松姫は織田信忠の婚約者だったが、武田家と織田家の関係が悪化して婚約は解消されている。

高遠城の戦い

天正10年(1582年)、織田信忠の軍が信濃に攻めこむと、武田家の城は次々に落ちた。盛信は高遠城(長野県伊那市)にこもり、信忠から降伏をすすめる使者が来ても応じなかった。

3月2日、織田軍は高遠城に総攻撃をかけた。盛信は城兵とともに激しく戦ったが、城は一日で落ち、盛信は討死した。武田家が滅ぶなかで、まとまった抵抗を見せた数少ない戦いである。

その後

高遠城が落ちてからまもなく、兄の武田勝頼は天目山のふもとで自害し、武田家は滅んだ。盛信の奮戦は、武田家の最後の意地を示したものとして語り継がれている。

仁科盛信をめぐる人物

  • 父:武田信玄
  • 兄:武田勝頼
  • 妹:松姫(織田信忠の婚約者)
  • 戦った相手:織田信忠

ゆかりの地

  • 高遠城跡(高遠城址公園)(長野県伊那市):盛信が討死した城。桜の名所
  • 五郎山(長野県伊那市):盛信をまつる石の祠がある山
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