いじち しげおき
| 地域 | 九州 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 大隅国人 |
| 大名家 | 大隅国人 |
| 家紋 | 丸に三ツ柏 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 地方割拠 |
大隅小根占城主。肝付氏や祢寝氏と連携して島津義久の大隅統一戦に抵抗した。
目次
大隅の名族・伊地知氏
伊地知重興が当主を務めた伊地知氏は、大隅国(現在の鹿児島県東部)に根を張った国人領主で、重興はその9代当主にあたります。下大隅の垂水・田上・高城・下之城などを領し、大隅半島に確かな勢力を築いていました。薩摩の島津氏が三州(薩摩・大隅・日向)の統一を目指すなかで、重興は在地の独立を守ろうとする側の一人でした。
島津への抵抗
永禄年間、重興は大隅の有力国人である肝付兼続や禰寝重長らと同盟を結び、勢力を強める島津氏に反旗をひるがえします。しかし元亀3年(1572年)には家臣の守る小浜城が島津歳久に攻め落とされ、翌天正元年(1573年)には盟友・禰寝重長が島津義久に降伏。頼みとする同盟者が次々と離れていき、重興は次第に孤立へと追い込まれていきました。
降伏、そして島津の家臣へ
抵抗を続けることが難しくなった重興は、天正2年(1574年)3月、ついに全領地を差し出し、剃髪して島津氏に降伏しました(下之城のみが返されたと伝わります)。これによって大隅における反島津勢力の一角が崩れ、島津氏の大隅平定は大きく前進します。かつて島津に立ち向かった大隅の名族は、以後はその傘下でその名を保っていくことになりました。
島津の三州統一という時代
重興の抵抗と降伏は、島津義久ら島津四兄弟による三州統一の大きな流れのなかの一幕でした。大隅で長く覇を競った肝付氏がやがて没落し、伊地知氏をはじめとする国人たちが島津の家臣団へと組み込まれていくことで、島津氏は九州制覇へと歩を進めていきます。重興の生涯は、独立を保った国人領主が大勢力に呑み込まれていく、戦国九州のリアルな姿を映し出しています。







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